訃報 「ハードコア人体実験室」の新井裕己さんが五竜岳で遭難

東大スキー山岳部の新井監督、北アルプスで遺体発見
http://www.asahi.com/national/update/0428/TKY200804280074.html

『ロックアンドスノー』で「ハードコア人体実験室」を連載し、最近ではブログ「Laboratorism」で山スキーやサプリメントの情報を活発に発信していた新井裕己さんが28日午前、五竜岳武田菱で死亡しているのを発見されたという。

彼の記事を読みたくてロクスノを買っていたようなものだし、サプリメントに興味を持ち、BCAAを売ることになったのも、彼の影響だった。


PowerNavi立ち上げに際してはいろいろメールでアドバイスをいただいたし、最新のサプリメントに関する講演会をやりたいと提案したら、ぜひやりましょうという返事もいただいていた。

そろそろスキーシーズンが終わるので、講演会の日程を本格的に詰めようかと思っていた矢先だった。

日本を代表する山岳スキーヤーとして、鹿島槍ヶ岳北壁や不帰1峰北壁など、数々の初滑降記録を持ち、斜度4、50度のほとんど崖のような斜面に突っ込んでいただけに、いつか大怪我するのではないかと心配はしていた。

しかし、雪崩についての知識や経験も豊富にあり、押さえるところはきちんと押さえて慎重に行動していただけに、突然の訃報に驚いている。

最近は自分のブログメインで、あまり積極的に投稿しなくなっていた山スキーMLに22日夜、

「ちょっと道具を新調したので、明日は武田菱にリベンジの予定です。

今度は間違えないでしょう、さすがに。」

と記事を書いたのが、最後となってしまった。もう、あの新井節の記事を読むことができない。彼が手がけていたスキーやクライミングに関するプロジェクトも未完に終わってしまった。

今は、心からご冥福を祈ります。

朝日新聞群馬版に葬儀の記事が載ってた。

http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000000805010001

山岳スキーの新井さん葬儀

2008年05月01日






 急斜面を滑降する山岳スキーの第一人者、新井裕己さん(享年32)の葬儀・告別式が30日、高崎市内であった。今後も活躍が期待されていただけに、突然の死を山岳スキー関係者や高校時代の友人ら約200人が惜しんだ。

 新井さんは先月28日、長野・富山県境の北アルプス・五竜岳(2814メートル)山頂から約300メートル下の斜面で遺体で見つかった。地元の警察によると、滑走中に滑落したと見られている。

 東大大学院在学中の02年4月に北アルプス・鹿島槍ケ岳(2889メートル)の斜度約50度、高度差約650メートルの北壁に挑み、初めて成功した。東大スキー山岳部の監督も務めていた。

 告別式では、東大スキー山岳部の先輩、関根匡さんが「信じられない。アスリートとしてピークは35歳と言っていたのに、まだやりたいこと
があっただろう」。高崎高校山岳部の同級生天田慎一さんは、高校時代の呼び名「新井ちゃん」と呼びかけ、「山に詳しく、とことん努力する姿を尊敬してい
た」と声を詰まらせた。

 新井さんは、山やスキーが好きな父真一さん(61)に連れられて5歳ごろから山登りを始めた。昨年春に大学の研究室を辞め、「山とスキーに生きる」と話していたという。真一さんは「残念。もったいない」と早すぎる死を悔やんだ。

こちらは東京新聞の記事



http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20080501/CK2008050102007965.html?ref=rank

『山に行くなと言えず』東大スキー山岳部新井さん遭難死 遺族ら肩落とす 高崎で告別式

2008年5月1日

 長野県大町市の北アルプスで遭難死した東大スキー山岳部監督・新井裕己さん(32)=高崎市九蔵町=の告別式が三十日、高崎市内の葬儀場で営まれた。二十九日の通夜と合わせ、五百人以上が突然の死を悼んだ。

 新井さんは多くの初滑降記録を持つ山岳スキーの第一人者。日本山岳協会委員も務め、著作や雑誌連載にファンも多い。写真家の父真一さん(61)は
「山もスキーも私が教えたので『行くな』とは言えなかった」と肩を落とし、母礼子さん(58)は「二十日ごろ『出掛ける』と、いつも通りに家を出た。過去
にけがもあり、行くたびに心配だった」と言葉少なだった。

 山仲間で、遭難現場の山頂近くから遺品を持ち帰った東京都の会社員天野和明さん(31)ら三人は「滑りや登山に真剣に取り組む姿を尊敬していた。現場は本人の技量からすれば、問題ない場所と思えたが…」と惜しんだ。 (菅原洋)