岡山大学新聞279号 1983年7月10日

インタビュー

遠藤みちろう(スターリン)

スターリンは共同幻想を対象化していくというところで政治的なバンドなんだ
先日岡大学館でコンサートを行ったスターリンのリーダーである遠藤みちろう氏に大のパンクロックファンでもある福間先生がインタビュー。いきなり吉本隆明が出てきたりしたけどなかなか面白い対談になっているぞ。(五月十七日、貴楽にて)
遠藤みちろう −まずは、スターリンっていう名前なんだけど、やっぱりソ連のスターリンから
みちろう あれからです
−意識的にスターリンという名前を出せば、ある所では余計おぼえられやすいとか、そんな事を計算しているの、それとも感覚的に
みちろう 割と感覚的ですね。自分が大学に入った時というのは紛争の頃だったから、それからずっとかかわっていたし、それにセクトというか組織に関して疑間があったというか。僕としてはあの大学闘争というのは、それ自体は政治闘争じゃないと思っていたんですよ。それをセクトが、どんどん運動が衰えていく特に政治闘争に持っていこうとして、それにすごい反発を感じて、それ以来こだわりあったから。というのがもともとなんです。バンドの名前に使ったのは、そこらもあった上で感覚的なもの、というのとやっぱり他人に好かれるよりは嫌われた方がより直接的にピンと来るから
−その辺では何か挑発したいっていうか
みちろう ありましたよ。特に僕らと同じ世代の知識人を挑発したいというのがあったけど。やっぱり僕らの世代というのはパンクなんてあまり聴かないでしょ、でも僕らが十代、二十代の頃というのはみんなロック聴いていたんですよね。それがコミューンとかなんとか、安易な感じで済し崩しになっていったからそれに対して逆説的な感じでね。
−そういう意味ではハッキリとって逆説なわけだね、スターリンというのも嫌われたりというのも。
みちろう そうです。もう一つは自分の中にもたぶんスターリニズムという要素があるっていうのも含めて。お前は、て言う時にはいつも自分は、て言うのと一緒だという。
−日本でいろんな物が出て来ている中でね、例えばセクトなんかみんなスターリニズムだなんて言われたくないっていう気がしてね、でも意外とそうではない。
みちろう スターリンというのは非常に政治的なバンドですよ。ただ政治的というのはセクトとかじゃなくて、共同幻想というような所で。今までのバンドっていうのはいつも反権力とか反核とか、そういう形でしか政治ってものを表わさなかったけど、僕らは共同幻想としての政治を自分たちの表現の中で絶対に客観化していくんだ、対象化していくんだ、というとこで政治的なんです。
−じゃ吉本隆明を読んでなくっちゃわからないね。
みちろう 僕は吉本が好きなんですよ。ただ僕の中では、自分が吉本を好きだってこととバンドってことは切り離しています。次元が違うところだから。バンドってのは自分の表現だし、吉本は自分が吸収するものだから。
−吉本のどういうとこが好き。
みちろう 僕は彼が一人でやっているのが好きなんです。絶対に一人でやるってのが。
−僕も吉本好きなんだけど、僕はけっこう吉本がね、体系的なあるいは理論的な思想家だと言われながらも、文章なんかは割に雑というかラフというかね。
みちろう そうですね、あの人、割と感情的ですね。あの人の内容ってのは全部、特に文学関係についてはファーザーコンプレックスでしょう。高村光太郎論やったり。ファザコンの人に影響受けてるでしょう。実は僕もメチャクチャファザコンで。一番最初に吉本読んで感動したのが高村光太郎論なんですよ。
−本当は一般的には言えないんだけど、その父親っていうような問題なんかはね、スターリンっていうのはある意味では父親の役割を果たすような存在としてね。
みちろう いや、そういうんじゃなくて。
−いやスターリンの持っているイメージっていうのは父親。
みちろう いやあれは性格っていうよりはやっぱり組織論じゃない。一人の人間じゃなくて組織っていうものをスターリンと言ってもかまわないみたいな。
−いや、今ちょっと思ったんだけどね、父親っていうのを自分の内部の問題として持ってなければスターリンに引かれちゃう、というのがあるんじゃない。
みちろう ありますね、特に今の若い子なんかみんな右翼に行っちゃうでしょう。あれ結局は同じなんです。僕らの世代がみんな左翼にドット行ったのと。左翼に行ってそのままセクトに入るのと同じですよ。セクトって快感だから。組織というのは自分が決めなくても誰かが決めてくれるし、実行すれば忠実な番犬になれる。
−でも吉本なんか、わりかし吉本の人間味みたいなもんもあるけどさ、家族という小市民的な生活をある意味で擁護する、擁護するんじゃないんだけ>どそういう事を大事に生きるって言っているところあるでしょう。
みちろう ありますね。あの人の共同幻想論の中で何が中心かと言ったら対幻想論ですよ。結局、自己幻想と共同幻想ってのは鏡みたいなもんで、実際無くてもすむのに出て来ちゃった、というの。で何があるかって言ったら人間関係の中では対幻想が基本になるんだっていう絶対価値を持ってくるでしょ。
−そういうところでね、ロックなんてのは吉本がそういう言い方でメシ食って何とかとか、結婚して子供作ってとか、そういうのをすくえなかったんじゃないかと思うのだけど。
みちろう それは今までのロックというのが家族制度なんかに反発があって、ようするに仲間うちのコミューンみたいなものを尊重してきたからじゃない。それだって一つの組織なんだから共同幻想というところで加担しているわけでしょ。もう一回対幻想に立ち戻らないと。パンクというのがなんで出て来たというと、家族の崩壊があったからなんですよ。
−ミュージックマガジンみたいな雑誌もなんだけど反核運動にかかわっているけっこう良心的なロックグループがあるでしょう。
みちろう 反核はスターリンは全部ダメですよ。あの代々木でやった反核コンサートの出演依頼来たのを蹴ったらそれ以来すごく向こうから嫌われて。
−その辺はやっぱり一線を画しているの
みちろう というよりは、ああゆうのってバンドとして出るもんじゃないと思っている。他のメンバーが出たかったら勝手に出りゃいいんですよ。ただ僕はイヤだ、というそれだけの事です。スターリンが反核をどうのこうのという政治的な発言ができるわけないし。表現体であって政治的な意見は個人個人違うから。
−僕はアナーキーというバンドがけっこう好きだったんだけども、彼らを支持しているファンクラブなんかマジメな進歩派グループにさらわれちゃってね。
みちろう あれはデッチ上げですよ。あいつら雑誌で反核について言ってたんだけど、自分らがマジメに政治について関心持っているのに隣のテニスコートでテニスやっている女たちがいて、そいつらを許さないぞ、なんてね。僕なんかあんな下らないコンサート出るんだったらテニスでもやっているほうがよっぽど健康的でいいと思うね。
 だいたいロック自体がさ、世の中を良くしようとするんじゃなくて、世の中悪いっていう幻想でしょ。何か運動じゃないんだから。
−ところで昔友部正人と一緒にやってたの
みちろう バックでベースを弾いてたんですよ。この前コンサートで一緒になったな。
−彼はなかなかの人だと思うんだけど。
みちろう あの人はすごいですよ。あの人ぐらいかな、フォークやってて唯一全然変わらなくやれたのは。
−ただどんどん距離が開いていったんだけどそれは一番何が
みちろう 歌に対する考え方の違いじゃないかな。僕はやっぱり歌というのは音と言葉の関係がなかったら歌じゃないという、あの人にはやっぱり音はバックだという発想があるんじゃないかな。それにあの人の歌から感じるものってすごい詩的、現代詩的なもんでしょ。スターリンの歌詞はぜんぜん詩的じゃないもの。
−そういう意味では、歌ってのがある世界からね、歌だけでない音楽がもっと全体的になってきた段階があるよね。
みちろう ジャックス聴いてたんです。
−その話を忘れてた。僕はね、早川義夫と学生時代に友だちだったんだ。
みちろう この前会いましたよ。ジャックス聴くまでは僕にとってローリングストーンズも橋幸夫もベンチャーズも全部一緒でカッコいいな、だったんだけど、ジャックス聴いて考えさせられましたね。はじめて考えさせられる音楽に出会ったというか。あのバンドだけが唯一日本のロックバンドでは日本というのにこだわったでしょう、日本語で歌うってのはどういう事かってのにすごくこだわったから。あのバンドだけは今でも新鮮ですね。
−あの当時、たとえば六十年代後半に二十才ぐらいだった人間がね、あの頃いろいろあったものをそのまま出してれば、今だってスターリンが一つだけやっているなんてこともないのにね。それがロックっていうのを生活過程の中で持続できないってのがみんなあったんじゃないかと思うん。早川にしても。
みちろう 生活はやっぱり肉体だと思うね。肉体が衰えたら持続できない。
−遠藤さんは何が一番支えたと思う
みちろう 僕は普通の人がやめる頃まで遊びぱなしだったから。みんながやめる頃に遊びに飽きてさあ何かしようかな、と思ったから逆だったんですよ。
−それはすごくみんなを勇気付ける言葉でもあるね。ロックバンドやってる人間ってのはワーとやってね、聴きに来てる人間というのはけっこうみんなボヤッとしてるんだよね。で、ある年齢になっちゃうともうやめたりなんかして。
みちろう 僕だってやめたいですよ。やめたいなあっていつも思ってるけどやめられないってのが自分の中にあって。
岡大学館ホールでのスターリンのステージ −今日のギグはどうだった。
みちろう ちょっとPAが良くなかったね。自分に返って来る音がないんで何やってるのかぜんぜん聴こえないんだよね。
−今日は中途ハンパな広さだったというか、前の方はけっこうダンゴ的にワッとなっているのに、あとはそれを遠回きに見てる感じで。
みちろう やっぱりスターリンのファンとスターリンって何かな、て見に来た人といるから仕方ないですね。PAがもっと大きいとグワッと飲み込めるんだけど音に頼ってもしようがないし。僕らの力量不足ですよ。
−去年熊本大で会場使用許可が取り消された事件があったでしょ、あの後はどうですか。
みちろう 今回は福井大学でつぶされた。京大では西部講堂でやったけど、徳島もダメになっちゃった。
−岡大はスターリンが来るなんてあんまり知らないうちにやっちゃってね。
みちろう ARBとかハウンドドックてなかなかいいロックバンドなんだけども先生みたいなんだよね(笑)、僕なんかそんなにうまい先生じゃないんだけど、彼ら子供に何か言って聞かしたりしてね。みんな熱くなって壊したりしたらもう絶対来れなくなるんだよ、とかね。その言い方がうまくて、25・26才くらいであんな先生みたいになっちゃって信じられないんだけど。
−今日は徹底して先生にならないという。
みちろう オレー番嫌いなの先生だから(笑)
聞き手 福間健二 −でもそうするとさ、ガキ連中に何か言うとしたらどういう事言うの。
みちろう 勝手にヤレッて言う。知らねえもん。個人個人の生活なんか関わり持ちたくないしさ、勝手に感じて好きなことやればいいんだ。自分のやりたい事をやればいいんだ。
−挑発していけば、その場の出会い頭でもアクシデント的に危険が迫ることあるよね。そういう事はどんな時でも引き受けるってこと。
みちろう そうです。だから僕らの場合、その会場の状況によるんです。状況設定というのは主催者の人がいるわけで、やはり主催者の意向ってのがあるでしょ、壊してもらっちゃ困るとかってあったら壊さないですよ、僕ら。ただ客との関係で壊れちゃったものはしょうがないんじゃない。ただ客に何しろ、とか何するな、とか絶対言わないっていうか。だから理想的な一方通行をやろうと思ってる。こっちからボンボン出してくだけ、客からは何が来ようがそれは僕らにとってやはり引き受けられるもんであって、それに対してああしろこうしろとか絶対に言えない。


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