岡山大学新聞275号 1983年2月10日

もう無関心では済まされない
北津寮への入寮募集停止は
岡大生全員への宣戦布告だ!

 岡大・京大・阪大、この三つの国立大学に共通するものは何か−−岡大新聞流の答えは『寮が自治寮であり、かつ大学側が廃寮を決定して反対運動が起きているところ』となる。大阪大は75年度から入寮募集が停止され、寮生側が自主募集で対抗している。京大は三年後の廃寮が決定したもの募集に関しては手を付けていない。そして岡大では北津寮が来年度から入寮募集停止で三年後に廃寮ということになっている。

 もう話は知っていると思うのだけれども岡大当局は11月24日の評議会で次の通り決議した。

1 昭和58年度以降の現男子寮の入寮募集を停止する。
現男子寮の入寮募集停止は昭和58年4月から昭和61年3月まで(3年間)とする。その後、現男子寮は取壊し、新規格寮を建設する。
2 昭和58年4月以降、現男子寮の炊婦の配置換を行なう。

 まず1は4月から寮に新入生を入れず、II部や医・歯をのぞく今のほとんどの一年生が卒業する三年後に北津寮をつぶすぞ、ということなのだ(新規格寮とは? あとで説明します)。そして2は現在寮の食堂で働いている炊婦さんに寮食堂以外の仕事をしてもらう、つまり食堂はもう営業しないと言っているわけ。
 現実に150人もの人間が住んでいて、入寮希望者が毎年募集定員(約40人)の三倍から押しかけてくる北津寮を、入寮募集停止にしてさらに食堂まで閉鎖してしまうというこの決決議はあまりにもヒドイ。おまけに12月に寮が出した「条件付新寮建設に合意する」という方針も大学側は認めず、話し合いにも応じていない。
 もちろん寮生は猛反発だ。入寮募集停止には自主募集をおこなうと宣言しているし、寮の呼びかけで新聞会、学友会、共済会などいくつかのクラス、サークル、学生団体で入寮募集停止に反対する決議があがり、2月3日には教養部で十数年ぶりというストライキがおこなわれる。
 これから先、反対運動はどんどん激しくなるだろう。それではいったい、なぜ今入寮募集停止なのか。

 入寮募集停止というのは廃寮化プロセスの中でも最終段階に近い強行策である。寮に入リたい、寮でなければ生活できないような学生を来年から切り拾ててしまうわけだから社会的にも間題があるし、なにより寮と当局との関係を決定的な対立へと向けてしまう。
 多くの場合−北洋寮も−入寮募集停止となっても寮は独白に自主募集をおこなう。ところが当局は自主募集で入ってきた寮生を「不正規入寮者」と決めつけ、彼らを寮から追い出そうとするし、交渉にも応じない、とった態度をとるのだ。大阪大学では「不正規入寮者」には学生証を発行しない、という処置までおこなわれた。
 それだけに、これまでわりと間題を話し谷いで解決してきた岡大当局があえて入寮募集停止という手段に踏み切ったのに驚かされるし、その話じたいあまりにも唐突に出てきた。
 80年5月に評議会が負担区分の正常化、つまりそれまで寮と当局とが話し合って、寮の水光熱費を一部だけ大学か出していたのを寮生負担にしようということ、と建物の老朽化を理由に、男女子寮の廃寮を決定し、それにもとづいて一昨年、新女子寮が建てられても、北津寮廃寮、新男子寮建設の具体的な話はまったく出ていなかった。
 北進寮としては、新男子寮の話は83年以降になると判断していたようだし、その場合も、新女子寮寮建設の時のように寮生の反対を押し切ってでも建物を先に作ってしまうのだろう、と見ていたらしい。実際に昨年年6月の学生部長交渉で寮は評議会に向けて、新男子寮の概算要求は寮生との合意のうえでおこなうように、との要求をしている。
 それが一転して、大学側の条件で新寮を建設するか、さもなければ廃寮であると大学側から出してくるのが10月13日の学生部長交渉で、である。この大学側の条件というのは新女子寮なみの条件:食堂ナシ・全室個室・負担区分は通達どおり、というもので北津寮が基本的に反対してきた条件なのだ。
 大学側はここで新寮建設か廃寮かの二者択一を寮生に追ったわけだが、まだ廃寮とは具体的にどのようなものか述べていない。
 来年度からの北津寮入寮募集集停止、という具体的な案が大学側から示されたのはやっと10月28日になってのことである。評議会決議が11月24日だから一カ月もなかったわけだ。しかもこの部長交渉の直後に寮内最大行事である4日間の寮祭がひかえていたし、大学祭もあったというわけで、この間寮生はほとんど動けなかった。
 11月11日には最後の学生部長交渉がもたれたけれども寮も当局側も態度を硬化させていて、条件付き新寮の建設には合意できないとする北津寮と、条件付き新寮か廃寮のどちらかしか有りえないとする当局側の主張は平行線をたどったまま話はまったく進展せず。結局6時間後にドクターストップがかかって交渉は打ち切り。田中学生部長はそのまま入院してしまい、24日の決議となった。
 と流れをここまで見てみると、やっぱり今回の入寮募集停止の必然性がわからない。コトの重要さにくらべたらあまりにも短期間で決まっているし。こうまでして入寮募集停止にしなければならなかった理由は何か、北津寮はこう分析している。

《「11・24評議会決議」は日帝−政府−文部省による全国大学筑波化攻撃の一環としてある…これらは…反筑波化を掲げ闘っている…京大・阪大・岡大の学寮を潰し切ろうとすることをねらっているものであり、それによって、大学の筑波化=学生の完全管理分断を阻止しようとする学生運動高揚の「危険物」を根絶しようとしているのです。》 ("CRUSH!北津寮から全学へ"第3号)

 ようするに北津寮みたいな自治寮を残しておくと、また学生運動がおきるんじゃないか。そんな伝統を新寮に持ち込まれちゃ困るから、この際、いったん入寮募集で北津寮を完全につぶしてから新しい寮を建てて、何も知らない新入生を入れていこう、ということなんだと。
 しかも文部省は金はいくらかかってもいいから83年秋までに自治寮廃寮、新寮建設のメドをつけるように通達を出したらしい。そこから逆算したタイムリミットが82年11月評議会決定だったのだ。
 北津寮の分析を裏付けるものの一つが"合意書”問題だ。実は12月4日の寮生大会で北津寮は条件付き新寮の建設に合意している。10月13日の学生部長交渉で大学側が出してきた「新女子寮なみの条件(食堂なし・個室・負担区分通達どおり・入寮選考権・管理運営権を認める)で新男子寮建設」を受け入れたわけ。それは四条件新寮の建設そのものに反対していては闘争基盤である寮が完全につぶされてしまう。だからとりあえず条件付新寮でも建てさせ、その内側から条件反対の寮運動を発展させようという考え方なんだって。
 ところが11月24日の決議以来大学側の態度が変わり、もう女子寮なみの条件ではダメ! 入寮選考権、管理運営権は認めない、ということになってしまった。おまけに「四条件を認めます。もう闘争はしません」という"合意書"を出さないかぎり学生部長交渉にも応じないそうだ。「四条件粉砕」のビラすら配ってはいけないとか。建物が古くなったから新寮に立て替えるとか負担区分問題で会計検査院から指摘されたから、というのならば北津寮が認めた女子寮なみの条件で充分なはずだ。それをわざわざ「もう闘争はしません」といった合意書までとろうとするのは今度の入寮募集停止−新規格寮建設が学生を押さえつけるものである、ということをみずから明らかにしているのではないだろうか。

学生の声は

 北津寮も毎日のようにビラを配ったり、クラスで説明をやって寮問題への理解を訴えている。また1月中旬からは2月3日の教養部ストライキに向けた署名集めもやってるわけなのだが、一般の学生は寮問題をどう見ているのだろうか。まず教養部の学生にインタビューしてみた(1月22日)
「大学側が強引にやったのはよくないですよ。僕個人としてはこの問題に関心を持っているつもりですけど、ただクラス全体となると寮のことというのはねぇ、話題には出ませんね」(男)
−自分で関心を持っているという人は珍しい。
「この前、クラスに来て寮の人が説明していましたがよくわかりませんでした。ただ私は上から押さえつけられるのはよくないと思うので、寮にはがんばってもらいたいですね。そういう時には一部の人だけが過激になるのではなくて皆んなで…」
−どうも寮生の話というのは一般学生には理解にしにくいらしい。
「英語の時間がはじまる前に説明に来てたけど、みんな聞いてなかったですね。だいたい寮のビラにしてもステッカーにしても、ものものしいばかりでよくわからない」(男)
−なかには説明しようと寮生がやって来たのだけども
「一度説明しに来ましたけどね、すぐ先生か来られて、寮の人を迫い出しちゃった。だからほとんど何も聞いていない」(男)
−ひどい先生もいるもんだ
「学友会の総務委員やっているから知っています。ある程度関心はありますし、ただ寮生の意見だけでなく学生部の言い分も聞きたいと思います」(男)
−今回は時間がなくてダメだったけども、いつかぜひ学生部にも聞いてみたい。
 この時点ではほとんどの人が「知らない」「わからない」という返事だった。ただこれはスト署名を集めはじめたばかりで、500人の署名が集まった今ではどうだろうか。
 同じような反応か1月28日に「入寮募集停止決議の白紙撤回を求める」と決議した幹事会でもあった。この決議はまず1月21日の幹事会に新聞会から動議として提出し、その時に新聞会からの趣旨説明と、北津寮からの説明をうけて、一たん各サークルに持ち帰って部会で話し合ったものなのだ。
 28日の幹事会で、意見も質間もないのでとった採決の結果がなんと賛成28に対して保留22。賛成が過半数に達しているものの、これでは決議としての意味がないということでその後二時間討論を続けた。そこで保留の理由を聞いてみたところ「自分のサークルには寮生がいないし、寮のことについてはよくわからなかった」あるいは「幹事会でこうした決議をあげる意味かあるのか」というものだった。
 幹事会での決定に関しては各サークルがきちんと責任を持つ、サークル員に徹底するという幹事会の方針からすればこういった意見も当然のこと。それだけに最後は82サークル中75サークルという圧倒的多数の賛成でこの決議が承認されたことの意味は大きいだろう。
 ここで参考までに寮闘争が盛んな京都大学での学生意識調査の結果を京大新聞(11月16日付)からちょっと引用させてもらった。

○廃寮の動きについてどう思いますか

AB
知らない 16% 12%
知っているが関心がない 37 26
関心はある 45 62
無回答 1 0
○「関心はある」の人はどう考えてますか
現在のような自治寮を維持すべき 49 70
今の寮は廃止すべき 19 6
判断できない 32 24
無回答 0 0
○学生の自治活動について
必要ない 4 3
必要だか学内問題に限る 5438
必要だし学外問題にも取り組むべき 25 41
関心なし 12 12
その他 4 3
無回答 1 2

ここでAは教養部生235人、Bは学部生の218人。上級生の方が関心か高くなっている。
 この特集で少しでも今回の寮問題について関心を持ってもらえたかな、理解してもらえただろうか。
 もちろん無関心でいることは簡単だ。寮生なんて全学生の2、3パーセントにしかすぎないのだし。だけど、自分たちが今学んでいる岡大の中で、確実に学生が無視されて管理されようとしていることに本当に無関心でいれるだろうか。少くとも無関係ではいられないと思うよ。
 沈黙していればそのツケは必ず自分たちに回ってくる。怒りを怒りとして表わすのはシンドイしカッコ悪いかもしれない。だけど学生だって大学の主人公じゃないのかい、最初から締らめちゃうのが一番つまらないぜ、僕たちはブタになるにはまだ早い。

寮問題事実経過

1980年
3月10日 会計検査院の指摘を理由に、これまでの国庫超過負担分=大学側負担分約960万円を寮生に支払うよう要求。
5月28日 学外で開かれた評議会において男女子寮の廃寮が決議される。
5月31日 学館前で"大沢真君追悼、「マル青同」弾劾、廃寮攻撃粉砕、全国大学・寮闘争勝利集会"が開かれ、全国から15大学300人が参加。
6月3日 学生部長交渉で5月28日に廃寮を決議していたことが明らかにされる。この日夜10時まで7時間交渉。長堀学生部長(現農学部長)はドクターストップで救出。
6月28日 評議会は新女子寮の概算請求(文部省へ予算を請求すること)を決議。
7月2日 出勤してきた小坂学長の車を寮生が事務局前で止め、学生と交渉するように要求したが学長は沈黙。寮生、学生100名と排除しようとする職員200名がもみ合いになり、一時は機動隊も正門前まで出動。
6月〜12月 「廃寮決議白紙撤回全学全国署名」に1614人が署名したが大学は無視。
1981年
3月 大学側は新女子寮の青写真を提示。これをうけて女子寮は白紙撤回から入寮選考権などを必要条件とする新寮建設へと方針変換。
9月4日 入寮選考権について寮生との合意なきまま新女子寮着工。寮生はバリケードで着工を阻止。
9月8日 機動隊が出動してバリケード撤去。その夜バリケードは再構築され、以後工事は全面ストップ。
10月4日 厚生課交渉で入寮選考権を女子寮運営委員会が持つことを確認。寮生がバリケードを自主撤去し翌日工事再開。
1982年〜
10月13日 学生部長交渉で田中学生部長「女子寮並の条件で新寮建設か廃寮か」を迫る。
10月28日 田中学生部長、「来年度から入寮募集停止の可能性がある」と発言。
11月11日 6時間の学生部長交渉おこなわれるが論議は平行線。ドクターストップで交渉打ち切り。学生部長は入院。
11月24日 評議会で入寮募集停止を決議。
12月4日 北津寮寮生大会「最低限女子寮なみの条件で新寮建設に合意する」と決議。
12月22日 評議会へ抗議行動。寮問題については議題にのぼらず。
1月18日 北津寮寮生大会、教養部スト提起と自主募集を行うことを確認。
1月26日 評議会、12月22日と同じ。同日付け、田中学生部長名で北津寮井尻委員長あてに自主募集禁止の通達が出る。

ビラを正しく理解するために

寮運動用語の基礎知識

○評議会 学長、学部長、そして各学部から選ばれた評議員の皆さんが集まって話し合う岡大の最高議決機関。実際には何人かの実力者グループで決めた話を持ってきて、それにうなづくだけだともいわれている。

○大学当局 学生部職員「私は何も言えん、部長に聞いてくれ」 学生部長「私は決定権は持ってない、評議会とのパイプ役にすぎない」 評議員「個人としては何も言えないね」 評議会「評議会は学生と話をする機関ではない。文句があったら学生部を通じて」…

○自主管理・自主運営 自分たちのことは自分たちで決めて責任を持とうということ。北津寮では入寮選考、部屋決め、食堂運営…みんな寮生がやっている。だから酔ってどこか壊そうものなら翌日には謝罪文掲示となる。学生部でも「岡大寮の自主管理はしっかりしていると文部省でも関心しとる」と言ってた。

○筑波化 これ以上キャンパスを広くしようとか、研究費を増やそうという話しではない。筑波大ではビラを出すのも雑誌を作るのも集会開くのもみーんな許可制。大学祭にしても全団体に顧問が必要で、おまけに大学側が「こんな企画は気にくわん、ボツ」と判断すると中止させられてしまう。逆らえばすぐ退学、停学に。文部省と大学のエライ人は全国の大学を筑波大みたいにしようとしている。

○四条件と新規格寮 寮についての筑波化への指針として76年に文部省から出されたのが新寮に関する四条件。なかみは(1)全室個室 (2)食堂は付けない (3)負担区分は通達どおり (4)管理運営は学生部長、というもの。そしてこの四条件で建てられた寮が新規格寮(新々寮ともいう)。ひどいところになると新規格寮では「三人以上部屋に集まってはいけない」とか「外出中に管理人が勝手に室内をチェック。ノートや手帳が消えて、やがて落とし物として現われる」「同性の友人でも寮内は入れない。会うのは管理人が隣にいる面会室で」「集会室がないから寮生大会は風呂場で、コンパは廊下で」とまるで別世界のようになる。

○全寮連(全日本学生寮自治会連合) 全学連の寮版。共産党の影響が強く、北津寮はここ十数年権利停止状態。新寮建設については「政府は新寮を立てさせない方針」と見ており、だからとにかく新寮が建つことが第一で、そのためには四条件も受け入れる。最近はそうやって建った新規格寮でさすがに運動ができず凋落気味だという。

○全国学寮交流会 全寮連に反対するノンセクト系の寮の集まり。阪大・京大・岡大の寮が中心になって80年に結成された。四条件と対決しているが、中心の三大学寮が同時に廃寮攻撃の真中でかなりシビアな状況。


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