対談 青春を挑発する

藤井「いいんですかね教師がこんなこと言ってしまって」
福間「女は奪えとか処女はつまんない、なんてね。結婚できなくなっちゃうかな」

対談者のプロフィール

(文責 浜田仁夫)

藤井 寛(ふじい・ひろし)

 一九西九年広島県生 33歳
東大大学院中退 現岡大文学部仏文科講師
 フリー・ジャズについての、その守備範囲の広さ深さは、晶文社刊の訳書『ジャズ・フリー』において十分明らかにされた。
 現代フランス文学・思想に対する考察のアクチュアルな視点は、わが国の若手仏文学者のうちで特異な存在である。75年岡大赴任以来、現代詩の実作者としてもその可能性が注目されている。福間とのパンフレット「タフ・ママ」において映画批評における方法論を確立した。

福間健二(ふくま・けんじ)

一九四九年新潟県生 33歳
都立大大学院卒 現岡大教養部英語科講師 独身
 高校時代若松プロダクションで遊びながら、ピンク映画手法を学ぶ。大学時代に柴田翔らによってその小説が評価される。が、福間健二の名前は、70年代前−中葉「あんかるわ」を中心にして発表された詩によって多く認められている。
 79年岡大赴任以来は、いわば今後への充填期の感もあリ小休止の様相ではあるが、80年代の文学・現代詩において期待される才能の一人である事は疑いのないところではある。

十八才という爆弾

福間 今日は青春を挑発するようにしゃべろうということなんだけど、自分たちの勝手なイメージを追うという感しでいって、現在の青春に刺激をあたえるように語れればいいね。
藤井 どうせ勝手なことしか言えないんだけどね。さて、一応われわれが青春と言う時、ある年齢を思い浮べるわけだけど、そこらへんから始めてみようか、十八才とか。
福間 十八才が何がすごいか、青春が何がすごいかでもいいし。ぼくが思うのは、実際に自分が行動するとか、あるいは意見としてきちんと言えるかどうかは別にして、内側に無限にアナーキーになれるものをもっているというところだね。
藤井 そうね、それは何かものすごく過剰なものがあるからなのか、それとも何もなくてカラッポだからアナーキーなのかね、よくわからないけど、とにかく極端なものに引き付けられる年代ではある。
福間 実際に世の中に十八才として存在させられていることはさ、生きている場では妥協的に生きさせられているけどね、ある部分どこまでも破壊的に行けるという感じがあるはずなんだよね。
藤井 まだすりへっていないぞ、というところがあるんでしょ。
福間 そうね、すりへっていないのね。だけどもう十八才でそういうところがない人はね、もうしょうがないって感しでね。
藤井 逆の形で出していけば、もう十八才にして将来をきれいに決めていこうって感じで生きている子、最近は多いと思うんですけどね。そういうのはすりへってるということかな。
福間 よく言うのはさ、まだ自分はなんにもわかりませんからこれから勉強して、なんての。本当はそれじゃ遅いわけでしょう。十八才からなにかをつかんでいくんじゃ。十八才そのものがすでにね、なにものかである、世界に対して、王張しうるもの、反抗的な、攻撃的なものを過激に持っているということからはじまらないとね。
藤井 そうね、持っているというか持たされてしまっているんでしょう。そういう具合に何かに強いられるようにして、十八才の中でみずからを見いだすという形で始まるんでしょ。
福間 そのアナーキーさを、爆弾とか爆発とかをね、かかえているんだとね、そういう十八才として出発するんだと。
藤井 それは大前提でしょうね。
福間 そうね。ところがこの爆弾がね、結局は下宿で寝ころがっていたりさ、大学周辺の喫茶店でフラフラしてたりというぐらいになっちゃうんでね。
藤井 まあ形を見いだせない、というもどかしさはね、ぼくなんかもあったけど、だれだってあるでしょうね。そのパワーとか爆弾とか、そういうものがね、溢れんばかりにあるんだけど、それを現実の社会にどうやってぶつけて行くのかってのがなかなか見えてこない時期でもあるんですよ。そういう時にどうやっていけばいいのかってのは、もう究極的には一人一人がやってもらうしかないんでしょうね。これはやっぱりね、何か先輩が教えるような形では何も言えないですね。語れないってことも、これまた前提としてあるんですね。
福間 無限にアナーキーになれるっていうのは、もう一方では、もうどうしようもなく愚かしいというかね。自分の中の爆発しようとしているものをもてあそんだりなんかしてるところもね、醜いって言えば醜かったり、愚かだと言えば愚かだったりして。
藤井 醜さとか、当然ともなっているわけでそれはしょうがないんだね。どうしようもないカッコ悪さというものがありますね。どうしようもなくあがいて、外見がね、どんどんダメになっていく時があって。
福間 つまんないことが気になって、少したってみれば何でもないんだけどさ。十八ぐらいのカッコのつけかたってのもさ、やってる最中からみじめったらしいところもあるし、後で考えれば恥ずかしいという、あれなんかも本当に美しくないですね。でも、そういうものを一つ引きずっていないとね。
 ところで若い時代の魅惑って何でしょうか。
藤井 それは、たとえばぼくが今いくらバカな事しようと思っても、それはしようと思ってする事になってしまうでしょ。どうしようもなくバカにしかなれないという事の自由さもあるでしょうね。
福間 でも一方で社会あるいは世界に対してさ、なにかこうそれを征服してやろうっていうのがあるでしょう。
藤井 うん、自分がすべてでありうるという幻想なんでしょうね。
福間 そういう幻想をいだけるというのがあるね。
藤井 それが三十いくつになると、自分はあれでもなかった、これでもなかったというのが十何年でわかって来るんですよね。それである意味では寛容になっちゃうんだけど、その寛容さは、はたしていいのかどうかって。
福間 だからイイ気になれるという所が大事なんしやない。ナマイキだったりツッパッたりということがさ。
藤井 もうイイ気になってね、自分が全てであるから社会を全て否定もできるし。
福間 だからさ、十八才とか十九才の時にはとにかく世の中みんなバカばっかりでさ、おれ一人がエライ、と思うことができないとダメだね(笑)。でもそう思える李節が来ると、おれ一人がエライと一回でも思ってしまったら後は挫折の連続だけどね。
藤井 そうなんだよね。でもそのぐらいのつもりでやってないとね、何者にもなれないですよ。

セックスの前提

福間 ここらで恋愛、セックスに行きましょうか。
藤井 これもどうしようもなく通路が見いだせない年齢で。まあそういうのはぼくだけかもしれなくて、けっこう楽しくやっている人も多いでしょうけど。
福間 やっぱりセックスというのはそう簡単に明るくはないですね。楽しく割り切って、とはいかない。自慰一つにしても、体に害がないとか言ってもさ、やっばりもうこれは暗い部分、ゆがんだ部分とつながっているよね。
藤井 そうね、だから恋愛とか友人とか、青春一般というのはみんないっしょくたにあるもんで、みんな似たような関係がありますね。恋愛というのはようするに他人がいないと成立しない事だし。ぼくの場合だったらね、周囲との異和感というものの一つの中で、女性が特に大きな存在であって、それともなかなか折り合えなかったというかね。
福間 だから性に対して、性欲というのをさ、本来の自然として、肯定してさ、それをできるだけ健全な形で、なんて言ってもね、こういうのってやっばりそうは行かないんじゃないの。
藤井 そうね、やっぱり何か極端なね、ものすごい抑圧へ持って行くとか、心のネジレとつながっているからね。
福間 あれをうまくスポーツで発散するとかさ、割り切って自慰で始末するとかさ、あるいはうまく女の子引っかけてとかさ、とは行かないんじやない。
藤井 そういう与えられた図式で満足できればそれでもいいんだろうけども。
福間 性の悩みなんてものがもしあればね、そう悩むことはないよって言えるけどね、あるいはセックスについて知らん顔しているような形で生きてみせてくれたらさ、それはなかなか大したもんだ、と言えるかも知れないけど。しかしやっぱり悩み、苦しみなんじゃない。青春期というのが。
藤井 生理的にも、パワーのある時期だしね。
福間 一方では意識としてはいろんな形で、異性も性の対象とは違う次元でとらえてみたりして。
藤井 恋愛というのは一つには異質な他者としっかりと出会うという側面を持っているからね。だからセックスの自律的な世界だけでいくと話はあんまりひらけてこない。だからそれとも関係するんだけど、特に放埓にやって行けば何とかなるんじやないか、という思い込みもあの時期には有りますね。感覚を全開してね。あらゆる局面を放埓にやって行けば、何か奥底にあるものを見ることができるんだというような場面があってね。まあそれは性的なものでもいいんでしょうが。
福間 恋愛というものは確かに価値があるもんだと思うし、やりたい人はやればいいと思うんだけどさ(笑)。どうもぼくは気に食わないところがあるんだよね。つまり、恋愛ですかねって感じがある。一つには日本の青春がアメリカ的青春に近づいて来てさ、みんな異性の友人かいてデートをしていてさ、うまくやったりなんかしてさ。
藤井 うん、そういう時代になりましたね、だいぶ変わってきたよね。
福間 で、そういうことをしていない人、恋人がいない人は、アレだっていう……。
藤井 欠陥があるんじゃないかとかね。
福間 かわいそうだとかね。しかしああいうの、おだやかな馴らされた発情みたいな感じでね、どうもわかんない。つまり、異性をものにするということだったら、もっと激しい、荒々しいやりかたがあるだろうしね。もっと自分というものを、主張するような…、 藤井 まあね、恋愛というものを、いわゆる手垢にまみれた世間の与えてくれるイメージ、というようにとらえると、もうイヤですね。TVのCMなんかで象微的に出されてくる青春とか恋愛のイメージというものがあって、そういうので実際にやられたらたまんないなって気はしますよね。
福間 やってもいいんだけどね、大した事はないんじゃないって感じね。あといろんなパターンがあるけどさ、若いうちにカップルが出来ちちゃってね、もうこれで決まりという生き方をやってる人も多いと思うけどさ、あれも完全に現実に対する妥協みたいな感じだな。恋愛の相手が現実社会の代表でね、もうやらしてもらったから結婚してね、そのあと就職して生活を安定させていくという、いやったらしいパターンだっていう気もするけどね。
 あと男でも女でもやたらとモテる奴がいますね。
藤井 そういう人って会ってみると何か自分のものを持ってないと感じることが多いよね。本当の人間と出会っていることになってないんでしょうね。出会わなくちやいけないとは言わないけど何かね、出会ってそこに葛藤とか面自さとかがあるんだということでね。
福間 まあ、いい女を手に入れてやろうという男の欲望とか野心とかは、ときには痛快だったりするし、それでうまくいってるとねカッコよかったりもするけど、それだけじゃね。
藤井 結局それは世間に見られているのを演技している事になるからね。まあそれはそれで一つの面自さでもあるんでしょうね。
福間 失恋とか、捨てた捨てられたとか、男と女がつきあっていればいろんなことが起こるよね、そこで傷が残るようにつき合っていないとダメなんだよ。別にあえて傷つけというわけじやないけども、そういうのを感じないやつはもうどうしようもなくなってね。
藤井 痛みを感じない人間てのもいるわけだね。
福間 そういう奴もイイ気になっている一つでね、また特権でね、それを生きてみせるのは別にいいんだけどもやっぱりどこかで自分の存在の根にある恐ろしさとか、罪とか、そういうものに出会わなくちやダメだけどね。若いうちはやりたいようにやってもいいわけなんだけど。
藤井 良いんだけども、自分をどんどん脱ぎ拾てて、後に空っぽの人間が歩いているんじゃつまらないからね。何かをどんどん着込んでいくようにやっていかないといけないんじゃないかな。どんどん重くなっちやうけどね。
福間 わざと重くする人もイヤだけどね。傷自体をあんまり見せられても困るわけで。いかにも浅く生きているようでいて感じるところは感しているというぐらいがいい。
藤井 ある一人の人間とつき合っているんだということをシッカリと考えて、その時にやる事は何か、というのをキチンとやる。友人とか恋人とかいう言葉に自分で内容を入れていくという事が、自分の青春の軌跡になっていくんでしょうね。

女を奪う力

福間 おれたち一応男だから、ここらで女性論を少しやろうか、女とは何かね。
藤井 これはむずかしいね。これが言えれば卒業というところもあるんだよ。ぼくもまだ卒業してないですからね。結婚すればそれで終り、とはならないわけだ。まあとにかく女性というのはコワイものですよね。
福間 たしかにコワイよね、はいっていけば(笑)。しかしいま、そのへんに出てきてる女ってのはちょっと耐えられないものがたくさんあるんだけどね。ウーマンリブだろうが遊んでる女だろうが処女に執着してる女だろうがね。何かどれもみな同しバカさげん。
藤井 ぽく自身ものすごく女嫌いというところがあるかな、好きだけどその裏腹に嫌い。必要なんだけど生理的には嫌悪を感じるってことがしばしばある。
福間 女の気持ちわるさというのは…。
藤井 「男の世界」とか、そういう感じでやりたいと思うこともよく有る。女なしでやっていければこればど良い事はないんじゃないかとね。でも結局相手が女性だと、男の友達だったらとてもつきあえないな、というところも許してしまうところがありますね。
福間 その点がおれなんかもう一つというか、やはり許容したくないね。一人一人の女ではいい女もいるけど、今の世の中で女性的なものというのはどうしようもなくいやでね、ああいうもののキゲンとったり、なだめたり、許したりするのが男の役割だと思われたんじゃかなわないなって感じがしてね。
藤井 たとえばマノン・レスコーなんか出してみようかな。ああいう一種のかわいさなんかはどうですか。
福間 ぼくはマノン・レスコーにはひっかからないという自信があるけどね(笑)。だって女というものを追わないもの。男が女を追うからダメなんだよ。追わなきゃならない場面もあるかもしれないけど追わないことにした方がいいんじゃないの、イイ気になるから(笑)。まあね、テーゼとしてはね、「女は追うな、女は奪え」というのがあるけどね。
藤井 そういう荒々しいプリミティブな情動が支配する世界ね、やっぱり根本にそういうものがないとだめだね。
福間 女を奪う力というのは女がなくても生きられる力だという気がするね。もっと女の悪口が言えそうだったんだけど、ぼくは何が気にくわないのかな。
藤井 女からあたえられたり、あたえたリっていうことはどうですか。
福間 あなたの場合はそれがあるね、結婚生活のベテランだから。
藤井 それはおそらく幻想かもしれないんだけどね。こっちが勝手に思い込んで、思い入れをしているだけで、そばにいて生きている人間が、たまたま女だったというのにすぎないのかも知れないんだけど。
福間 ぼくなんか割と女性に対して一種残酷な視点を持つのが好きなんだけどさ、同時に女の味方なんですよ。
藤井 それはよくわからないな。
福間 ぼくは女というのは家事労働とセックスというふうにはとらえない。家事労働やセックスは別に男でも、一人でもできるもの。独身生活が長いから何でも自分でやっているけど、ぜんぜんそれをみじめだとは思わない。そんなことのためにヨメさんもらうのはいやだよ。
 結局女がダメだというのは男がダメだということなんだよ。女を家事とセックスでしかとらえてない男がいっぱいいてね、結婚するなら処女となんてアホな事言ってる男はいくらでもいますよ。ぼくは処女なんてつまんないと思っているんだけどね。
藤井 そうですね。まあ生まれた時は処女でしょうけど。でも自分の外側にある視念によって失いたがる人もいて、あれもどうなってるのかね。
福間 気がついたら失っていたというようなわけにはいかないんかね。
藤井 そういう具合に来るのが一番いいんでしょうね、きっちり生きたことの軌跡のような感じで。
福間 男がね、とにかくやりたいっていう時期があると思うけど、その一方で処女がいいというのは矛盾しているよね。
藤井 処女が目の前にいたら、どうあつかっていいのかわかんない。
福間 逆に童貞について、よく映画のパターンで、年上の女で童貞を失って、それからやっていくなんてのがあるでしょ、イヤだな。やっばり童貞は処女とやって苦労して欲しいというのもあったりして(笑)。傷つきあって欲しいというか、うまくいかなくて泣いて帰って欲しいというか。年上の女で知って、そのあと同年齢ぐらいの女とやるというパターンもつまりは楽にやる方法であってね。人生は楽じゃないからね。
藤井 十八ぐらいの時、何を考えていたでしょうかね。
福間 ぼくはやっばりまず童貞を失いたいってのがあったね。生きるモチーフの中心に割とロコツにあったんだからね(笑)。
藤井 そりゃあ当然ありましたよね。それがぼくの場合は、その、社会とのつながりというものがどうしようもなくつかめないっていう中であって。むしろ犯罪者的にどんどんそういった想像力の形になっていってね、こんなに暗い人間でいいのか、イヤらしい人間でいいのかってね。本当に犯罪者と紙一重みたいな所もあったかもしれない。どうしても十八才の頃を思い出すと暗さというものしか出て来ないという。
福間 まあなんとなく、十八才は凶器だなんてのもロマンチックでいいけどね。犯罪の可能性と言いきっちやいけないのかもしれないけどね、潜在的犯罪者であるのはしかたがないよね。

本当の友だち

福間 どうも、友だちっていうのは何なんだろうね。ほら一緒に酒飲んだり遊んだりしてる奴というのはさ、それはそれだけの友だちだよね。本当の友だちというのはさ、人生の苦しい場面で裏切りあうとか、あるいは救いあうとかさ、慰めあっちゃうとかね。
藤井 何かそういった抜き差しならぬ関係に持ってこなければね。
福間 持ってこなければ何もわからないというところがあってね。まあ気のイイ奴、会って楽しい奴、いろいろとタメになる人…。
藤井 何か整理された形で利用しあえるだけの友だちというのもね、まあいてもいいんでしょううけど、それだけだったらあまりにつまらない。
福間 友だちができるようにする、なんてことはね、できなければできないでいいみいなところがないといけないとは思うね。
藤井 友だちは財産だってよく言われますけどね、最初から財産のつもりで作るのはおかしい、という事だけはハッキリしている。
福間 友だちが大切だなんてのはみんな言っているし、あえてぼくたちが言うものでもないと思うけど、むしろ友だちがあっても、何かどうしてもうまくいかないっていうかね、そういったところに自分の価値がある。人に受けいれられない、そういうものも大事だよね。そういうのがない人って困っちやうよね、だめなんだよね。
藤井 単に網の目の中でね、自分がそこに場所を占めているだけで、それで時々周囲の網の目にちょいちょいと手を出してみるというぐらいの生き方じゃつまんない。
福間 青春の友だちがずっと続いていくとは思えないところもあるしね、失うか失わないか、みたいな所まで来て、たとえば失ったとしてもそいつのことがね、そいつと出会ったことが何かだったというふうに残ったりするのが友だちなんだということでね。
藤井 人間はいろんな状態におちいるわけだから、それはいろんな友だちがいてもいいと思うけど。でも自分が性根をたたきこむ場所をね、なくしてはだめだということですね。

先輩をバカにしろ

福間 ところでサークル、クラブっていうのさ、ぜひやりなさいという人が多いんだけどさ、ぼくなんかだいたいダメでね。ああいう所でうまくやれたことがないんだけどね。
藤井 かならず先輩がいるからね。
福間 先輩面をするやつ、先輩風を吹かしたがるやつ、ああいうの絶対に気に食わないね。たかだかちょっと年上でね、それで偉そうに言ってさ、その場所でしか偉そうにできないやつがね。
藤井 サーグルってそういう場所なんでしょうかね。
福間 先輩の言う事をきいておくといろいろ参考になることはあるけどね。だいたい人間としては小さくなるとしか思えないけど。先輩というのは、人間として大きくなって波乱万丈に苦労して生きるよりはさ、小さくなって安全に生きろっていうようなやつだね。
 まあ先輩なんてのはバカにしなくちゃね、教師もそうだけど。
藤井 教師は先輩の権化みたいな存在ですらかね。
福間 でも人生なんてさ、いくら生きても先輩になんかなりたくないですね。ぼく自身はダメな先輩として見られてる意識が非常に強くてね。
藤井 ダメな先輩というのも一つの手ですね。
福間 そのヘんを自分の主題としているけどね。だいたい人生は甘くないとか、現実はきびしいとか、君も年とればわかるとか言っている人間はだいたいバカだよね。
藤井 それでいけばどんどん縮小再生産しかないんだからね。
福間 たしかに年とってみるとわかる事があるんだけどそれは軽い気持でテレて言うべきなんだよね。あれで人間ずいぶん萎縮させられているから、秩序からの一つの恫喝だね。
藤井 制度、秩序というのはいろんな形で取り込もうとしているわけで、特に強いられるというかたちでなくても、自分がなにかやらされてしまうことに注意しなければ。ただ制度というのはもっとしたたかなものも持っているわけで、そういうものに十重二十重に囲まれているから、そこからどう逃げるのか、というのも現代のテーマということかな。
福間 ダメなやつっているね。ちょっと先輩面したやつが来ると黙って何も言わなくなってね。自分と同年とか下の所ではけっこう威張っちやってね。とにかく偉そうな事を言ってくるやつにははむかっていってほしい。
藤井 そうね、パワーだけは充分にあるというか、パワーしかないという時期だからね。でもサークルに入ること自体はね、否定してもしょうがないからね。どんどん人にもまれなくちやいけないでしょう。
福間 しかしぼくとしては、四年間サークルをやりました、なんてのはちょっとね。それよりもどっかにはいったんだけど結局やめてしまった、みたいなところになかなかよいものがあるような気がするけどね。
藤井 ぼくなんかもそのやめた口だけどね。どうしてもある時期、そのサークルの持っている全貌みたいなものがパッと見えてしまうとね、それで興味がなくなっちゃうという感じでどんどんやめてしまったんですけど。そういうの飽きっぽいと言われるんでしょうね。
福間 それで運動部なんかでよくしつけられたやつは、ある種の気持よさがあったりするけどね。
藤井 そういう人は気持いいのは気持いいですね、われわれにとっても。
福間 でも自分がそういう人間になる気はないよね。ただ運動部をやる人はやればいいとは思うからね。ところで自分の事を本当に卑下しているやつがいるね、ダメだね。
藤井 それはやっばり十八才は生意気でないといけない、という事がわかってないんですね。自分というものを持っていれば、これはこうなんだぞという場所が必ず見つかると思うんだけどね。そういうのを十八才までに一つも見つけずにただただ外界の要求するままにやって来たという事なのか…。

ぶつかっていたい

福間 ただ大学生なんてのは、まあ本質を考えてみるとね、ウジウジして何もできない、意見といっても特にあリませんとか適当でいいです、とかいうところになってしまうんだろうね。でもね、あきらめることはないわけだ、どんなことにしても。
藤井 十八才ぐらいで悟りすました状態になっている人がわりかし多くてね。
福間 もちろんおれたちがね社会を変えたりさ、社会に向かって自分の存在を大きく主張できるわけじゃないけどさ、だからと言ってね、こっちから縛られに行って、デレッとしていることはないんでね。やっばりぶつかっていたいよね。
藤井 まあ十八才で全てが終ってゴールに来たという意識でやってもらっちゃ困るということでね。
福間 さびしかったり弱かったりしているところを自分で持ちこたえる力がないとしょうがないと思うんだよね。サーグルも恋愛も友人もね、いいんだけどまず一人でいるという場所をみつけないといけないね。
藤井 一人で世の中とむきあっていなくちゃね。
福間 むきあってなきゃいけないし、なんか破壊的で悪意を持っていてね、社会に対して挑戦的であるという部分がないとね。
藤井 十八才なんてどうしようもなく暗いのが当然なんだから、それをなんとかそれだけで終らせないでもっと爆発させていって、自分の中の暗さも一挙にプラスに持っていくように考えてないとね、暗いままで沈んでいっちやうね。
福間 世の中の仕組がとにかくペテンだらけでさ、そのカラクリってのがもうどうしようもないってことがわからないとね、十八じゃ遅いというか、もうその時に爆弾をかかえているという状態でないとね。
藤井 爆弾というのは必ずしも表面的に激しい形で出るものとも限らなくてね。
福間 たとえばあの三分間時間を下さいとか言って神様の話をどうとか、ってのが来るでしょう、なぜあの瞬間に怒れないのかね。
藤井 ああ、学館の回りで呼び止められるやつね、そりゃあ頭にきますよ。
福間 アンケートや保険の勧誘やTVカメラと一緒なんだけど、心の中にあなたは神様を感じたことがありますか、なんて踏み込まれてさ、それでへラヘラと笑っているというようなやつはね。
藤井 そうですね、あれ気が弱そうな人がきいていますね。
福間 あと、あれ、大学の中庭で(笑)。
藤井 中庭でね(笑)。
福間 歌って踊っている幼稚園児みたいな連中、あれは何ですか、非常に気になってしまうんだけどね。
藤井 昔からいたみたいですね。あれと比べたら竹の子族の方がよほど健全なんだという感じね。
福間 竹の子族なら少しは字校とか社会の秩序に対して脅威になる部分があるでしょうけどね、あの歌ってる連中、自分から管理して下さいって顔をしてるんじゃない。まさにああいうのが世の中にデレッとした顔をむけているというやつだと思うんだけど。ああいうのさみしいから、友だちが欲しいからなんてあそこまでバカになれるってのはね、本当にあのバカはしょうがないバカだっていう感じ。
藤井 精神の弛緩が顔つきにあらわれていてね。何を信じているんでしょうかね。
福間 やっぱりある所では一人でいなきゃいけないしね、ある所で爆弾をかかえていなければね、そういう青春の中の存在がああやって手をつないで幼椎園児みたいにやってくれていることに対してどうしようもない慣リを感じるよ。
藤井 彼らは何か手軽に満足してしまったという感じですね。

全力で寝ころがって

福間 就職についておれは自分の考えを言えばね、何年も先の事を考えているやつはいやだ、とその一言で終りたい。
藤井 あした死ぬかも知れないんだもんね、それぐらい突出した気持でありたい。
福間 でもみんな臆病だからね、親がうるさいとかさ、いろんな周囲の人間と円満になって生きたいからね、だけど、人間のいやらしさに積極的に加担することもないよね。たとえば、ちゃんとした就職ができなかったら離れて行くような女は最初からいらないんだしさ。
藤井 だから四年間そういう形を整えることだけ考えてやって行くのは、何か本当に大切なものをどんどん捨てて行くことだって。
福間 でも親は大切にした方がいいですよ(笑)なんて言ってみたいという気もするけどね。ただ親を安心させるためだけに人間が生きたらしょうがないんで、親を安心させるという事と親の事を思って生活をちゃんとひきうけるということとは別でね。親を安心させる生き方をした人間が親を裏切っているでしょう。
藤井 そうね、そういう形であらわれてるね。
福間 親もダメなんだけどさ、親の言う事を聞く子もダメなんだよ。ぶつかるために親もいるわけだし。
藤井 入学式に親がついてきたりしますね。
福間 あれはもう本当にダメですね、ああいう子どもは処置なしだね。
藤井 いろんなものが行動への回路をふさぐようにあらわれているわけで、親というのもその一つなんでしょうね。象徴的な家出みたいな事が起こってしまうわけです。人のことばかり考えすざて自分がなくなっては元も子もないということです。青春の持っている不可能さから何かを生んでいくにはね、まわりの人間とことごとく対立するとか孤立するとかね、そういう局面がどうしようもなく出てくるというかそれを果敢にやるしかない。
福間 それでやっばりいい気になっている生き方が挫折させられていくわけだよ、壁にぶつかってね。だかち世界中でみんながバカでおれ一人だけという場所は崩されていくんだけどさ、でもそこに生きる鍵がある。まあいろんなものにぶつかっていって自分が大したことない人間だって思う日が来て頭をかかえこんじゃうという感じがね、それはそれで絶対にいいんだ。だから、ということにはならないかもしれないけれど、いまは十八才なら全力でね、下宿に寝ころがっていても全力で寝ころがっていろといいたい。
藤井 そうすればいろんなものと出会えるはずだからね。そうしてきつく迫ってくるものをキチンと引き受けていればどこかに抜けだすこともできるかち。最初からキレイな絵柄を描いたらその中を永遠に回っていることしかできないからね。