4・20通達粉砕共同闘争

 去る4月20日東京清水谷公園において、「筑波大処分を許すな! 4・20通達粉砕! 全国共同闘争」が筑波大反処分連絡会議の呼びかけにより、全国64大学1200名の学友の結集によって克ち取られた。この日の共同闘争は「筑波大における弾圧と、それに抗する学生の闘いの展望を報告するとともに、筑波大をはじめとする全国各大学に現在かけられてきている『4・20通達』実質化攻撃を、筑波大闘争と連動した全国学生の共同闘争により打破していく方向性を指示するもの」(集会基調)としのて位置づけのもの、清水谷公園における集会、文部省前デモンストレーション、芝公園における総括集会と闘い抜かれた。

 「紛争なき大学」筑波大においては、学生の自主的活動に対して大学当局により徹底弾圧が加えられてきたが、79学園祭を起点に学生の管理体制への不満が噴出し、その後も学園祭中心メンバーへの大学当局の処分策動に対する反処分の運動が闘われてきている。これら反処分の運動も含めた筑波大闘争の全国大学に与えたインパクトは、中教審「モデル」校において、中教審を問い返す闘いがまき起こったということからも大きなものであった。加えて4・20通達以降、筑波大を頂点に全国大学においてあらゆる学生の自主的活動、とりわけ政治的活動に規制弾圧が加えられてきており、個別、大学での闘争に終始するのではなく、他大学との連帯、全国大学共闘といった方向性の模索がなされていた、という状況があり、そこに筑波大闘争が結集軸となり、全国大学の共同闘争が実現したといえる。

 また4・20共同闘争の布石として、2月9日筑波大構内において「2・9処分粉砕! 勝共−福田体制打倒! 大学再編阻止! 筑波大緊急行動」が全国33大学550名の学友の結集によって克ち取られてきているが、二ヶ月余りの間に、全国大学の闘う学友の輪は二倍にふくれあがっている。70年代後半の学生運動の停滞といった状況が、80年代に入り学生層の流動化が進行する中、変化しつつあるといっていいだろう。

 尚、4・20共同闘争に、岡大からも北津寮の参加が見られた。現在、寮問題も学内管理の一環として、大きな問題であるが、この日の共同闘争後も、全国学寮関係者の交流集会がもたれ全国学寮の共闘必要性が横浜国大蒼翠寮より提起され具体的な方向性を検討していくことが?大学学寮によって確認されている。そして、北津寮のこの確認に基づく、ひとつの具体化として、5・31岡大集会を評価できるであろう。