岡山大学新聞250号 1980年6月25日

大学当局 現学生寮の廃寮を決定

会計検査院の指摘を根拠に 確約を一方的に破棄す

 「老朽寮一掃」をかかげて全国の闘う自治寮一掃を断行し、大学管理強化をなしきろうとする政府文部省は、ついにこの岡大北津寮女子寮へ廃寮攻撃をかけて来た。三月の学生部長交渉で当局は寮に対し会計検査院の指摘を理由として、負担区分「正常」化をつきつけ、過去からの一切の確約を破棄しようとしている。そして六月三日の学生部長交渉で、寮生が反対している四条件新規格寮建設=現学生寮廃寮を一方的に決定した事を明らかにした。  現在寮闘争は寮のみならずBOX、学館をはじめとする学生自治の存亡をかけて文字通り決戦期にあり、極めて重大な問題である。またここで大学当局の手先として学生管理強化を推進する原理研、日「共」=民青らの策動も活発化しており、学内は緊迫している。

学生部長交渉  三月十日、十一日に行われた寮と長堀学生部長との交渉で大学当局は突然「負担区分問題」なるものを出して来た。これは
一、昨年度の寮に関する支出について会計検査院から”国庫超過負担”との指摘を受けた。
二、この為、北津寮、女子寮に2・18付負担区分通達を連用する。
三、さもなければ”超過負担”の約九六○万円を寮生に支払わせ、寮食堂の公務員炊婦を解雇し来年度からの入寮を停止しなければならない。
というものであった。  この”超過負担”というのは、寮の、水光熱費の一部を大学側が支払っていることや、寮食堂に公務員炊婦がいる、ということである。
 しかし、これらの大学側負担は、これまでの寮と当局との交渉によって合意、確約されてきたのであり、大学がみずから2・18付負担区分通達は不当である事を認めていたのだ。
 さらに同じ項、文部省が「全国老朽寮一掃作戦」(文教ニュース七九年十二月十日号)と称して全国の闘う自治寮を廃寮にしようとしている事が確認された。一方、三月に養護教論養成所が廃止され、最後の養成所生が卒業したため、事実上閉寮されている青桐寮について、大学当局は四月一日付けで青桐寮が養成所から岡大に移官された事は認めたが、北津寮、女子寮の出していた青桐寮を全学対象の寮に」という要求については、それに応じるどころか今後何に使っていくのかすら明らかにしていない。
 四月十八日の学生部長交渉では、確約の一方的な破棄を寮生が追求すると、長堀学生部長は「確約が行われた時点は粉争下の不正常な事態にあった」として破棄を正当化しようとした。
 北津寮はこれら廃寮攻撃に対し、全学、全国と連帯して総力で闘い抜く決意を固める。そして結集の一つの軸として今年の「5・25」を実行委形式のもと全国に参加を訴えて行うこととし、学内でのビラまき、クラス説明会をはじめ全国各地の自治寮に足を運び、連帯を訴えた。
 このような中で五月十七日に県警の公安形事が寮内に侵入し、寮生にスパイ活動を強要する事件が起きた。
 「マル青同」による北津寮襲撃より五年たった五月二五日、「マル青同」に虐殺された故大沢真君(当特理学部一年)の寮内供養がいとなまれる。またこの日学館前に拠点として団結小屋が建てられた。
 五月二八日、大学の最高決定機関である評議会に対し団交実現、廃寮決議阻止をつきつけんと正午より学館前に寮生らが結集、学友らが見守る中で集会を行う。一時二○分ごろ評議員が事務局に入りはじめたため直ちに隊列を組んで事務局へ、出入口にピケを張り、抗議行動を展開する。
 しかしこの日評譲員は長堀学生部長ら数人を事務局に残したまま学外へ逃亡、ロイヤルホテルの中で密かに評議会を強行した。
 そして五月三一日には「5・31岡大集会」が全国十五大学、二百名の桔集で克ち取られる。(二面参照)
 六月三日午後三特より学生部長交渉が行われる。ここで二八日の逃亡評議会で四条件新規格寮建設=現学生寮廃寮、を寮生の意志を一切無視して決定し、概算請求した事を明らかにした。
 これに対し寮生が「評議会、学長に対し寮生と交渉を待つように働きかけよ」と追ると、長堀学生部長は一応同意したものの、「働きかける」内容について明言せず、寮生が「文章化せよ」と言えば「そんなものは書けない」、「ここで学長に電話せよ」と言えば「学長に対し失礼だ」と、理屈にならぬ言い訳を重ね、寮生の要求を拒否した。
 この間女子寮生も続々と学生部に押しかけ、交渉は続けられたが、学生部長の居直りの前に議論は平行線をたどり、夜十時頃になってドクターストップがかかり、七時間の交渉は終わった。
 現在北津寮は全学抗議署名集めを始めとする学内の闘う態勢作りと、民青全寮連にかわる、闘う寮の連帯を構築する事によって闘って行く方針である。

解説

 昨年一方的に新サークルBOX建設を学友会に押しつけて来た大学当局は、今度も学生の声を無視した廃寮攻撃をかけて来ている。
 この二つの学生自治を無視した動きは、実は中教審路線=資本に従順な物言わぬ学生創り、に基づく全国大学の筑波化、大学再編管理強化の表われである。そしてさらには日本帝国主義延命をかけた軍事大国化、侵略戦争準備の為の国内治安体制強化の一環である。
 ゆえに、学内に於いて学生の自治活動の一つの拠点である寮をつぶす、という事は、特に岡大ではBOXをはじめとする全ての場に管理強化がかけられる可能性を持っている。だからこそ、廃寮攻撃を寮のみの問題としてではなく、全学のになうべき課題としていかねばならないだろう。
 また一方的廃寮、という当局の暴挙について一言も語らず、あるいは「寮運動の成果」にスリ変えて、北津寮生がヘルメット姿でデモした事のみ取り上げ、「ヘルメット=暴力容認」「暴力を一掃しよう」と叫ぶ一部女子寮生や法経学生会執行部、日共などは大学当局を利するものでしかな一いときびしく批判されるぺきであろう。

寮闘争の歴史

<64年>

2・l8付負担区分通達、「○」管規出される。
<69年>
7月l日 学生部長「炊婦公務員化に努力する。」
7月l9日 学生部長「負担区分は不当である」2名の炊公化実現
<70年>
5月 炊婦2名の公務員化実現
5月18日 200名包囲の学長団交、新寮の敷地確保を確約
6月8日、9日 ”新寮小委員会”との30時間団交
〜これ以後当局は団交より逃亡〜
l0月26日 虫明学生部長「これ以上の賃金雇用は寮生と一般学生のバランスを失する」
l2月 寮費の部分的不払いにより炊婦へのボーナスを捻出
<71年>
2月3日 不払い分の納入勧告
3月l0日 谷口学長名義による納入勧告、学則をたてに処分洞喝
6月26日 学生部長実力団交機動隊導入
<72年>
6月27日 汲取り代負担軽滅→当局6、寮4の確約
7月7日 片山学生部長と男女子寮委員会との顔合わせから実力団交へ、機動隊導入
〜以後寮戦線結成、学費闘争、教養部自治会建設をとりくむ〜
<73年>
5月8日 教養部坂本教官処分に抗議し寮戦線教養部バリケード封鎖
<74年>
6月5日 福田稔学生部長「寮炊婦は全員公務員化する必要があり、今後もその方向で努力する。しかし現時点では因難なので、寮生の経済的困窮を幾分でも解消するために汲取料の寮生負担額の一部を大学側がもつ方向で話しあう」
7月25日 学生部長交渉汲取料6:4→8;2へ
<75年>
5月25日 「マル青同」寮襲撃、大沢君虐殺
10月25日 福田譲之介学生部長「○管、負担区分で新寮を建てる」
「炊婦が全員公務員化できないのは昔から決まっている」
???学生部長交渉「寮は福利厚生施設である」「憤習を保障し現状維持の新寮を建てる」「学長の諮問機関である新寮小委と交渉できるよう努力する」
<76年>
1月23日 学生部長交渉 新寮に関する四条件出される。
負担区分は通達どおり
食堂はつけない
管理運営の最終責任者は学生部長
寄宿費l,400円で全員個室
6月24・25日 学生部長「個室に関しては岡大としてはなんとか…」
「管理運営も現状のままでなんとか…」


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