岡山大学新聞239号(再刊4号)1978年11月22日

11・22事件糾弾−三周年

趙得勲(チョ・トゥックン)君への懲役七年の不当な弾圧に抗議する

岡山夫学「趙得勲君」を救う会

KCIAに強制連行された
無実の元岡山大学学友
趙得勲君を救おう!!
岡山大学「趙得勲君を救う会」
連絡先:岡山大学学友会 現代朝鮮史研究会

Cho Totsukun kun

一昨年十月二十五日、ソウル高等法院刑事会議三部は趙得勲君に対し懲役七年の控訴審判決を下しました。彼の無実を確信し、即時釈放を要求してきた私たち「趙得勲君を救う会」は、実質的に、第一審判決の懲役十年とほとんど変わることのないこの不当な重刑判決に心の底からこみあげてくる深い憤りの声を抑えることができません。この憤りと抗議の声をもって、私たちは、無実の趙君が釈放されるまで、さらに粘り強い救援運動を推し進めていく決意です。



趙得勲君は、大阪府立清水谷高校卒業後、岡山大学工学部電子工学科に入学するまでに、日本社会の朝鮮民族に対する差別、抑圧のもとでの激しい苦しみの中で、朝鮮民族としての意識にめざめていきました。そして「在日」の歴史の中で奪われ続けてきた民族性をとりもどし、三十六年もの長きにわたった日本帝国主義の侵略支配の結果として不幸にも南北に分断されている祖国の統一を願い、それを自らも共に実現していこうとする決意をもったのです。

−高校在学中、サッカー部で活躍していた彼は、国民体育大会に日本人以外は出場できないというその差別性を身をもって経験し、また友人と旅行に出かけた時宿の宿泊者名簿に記入する際、日本人の友人には一言うことのできない「悲しみ」を抱いたという−

そして趙君は、岡山大学卒業後の七五年四月、奪われ続けてきた民族意識をとりもどすため、さらには、日本社会の激しい差別・抑圧のなかで自分を育ててくれた両親を、祖国に迎えて共に暮らす下準備をするために、韓国に留学し、ソウル大学在外国民教育研究所に入所、そこで母国語を学ぴ、民族の生活にとけ込もうと努めながら、大学院入学のための受験準備を行ない、十二月一日、めでたくソウル大学大学院修士課程に合格したのです。

ところが、十二月十二日に入学式まで家族のもとで暮らそうとソウルの金浦空港へ向かったところ、突然KCIA(韓国中央情報部)とみられる数人の男に目穏しをされ連行されたのです。 この時、同時に連行され一週間後に釈放された趙君の友人から家族の方にこの事が知らされました。家族の方々は、留学の際に推薦をうけた民団大阪本部や韓国総頷事館などに、この事を問い合わされましたが、何らの返答もありませんでした。彼の安否を確認するため三月にお父さんが渡韓されましたが、西大門拘置所に拘留されているらしいとの感触が得られただけで空しく帰日せざるを得ませんでした。五月に再び家族の方が渡韓され、趙君が「反共法」「国家保安法」違反スパイ容疑で既に起訴されており、五月二十五日に懲役十五年の求刑を受け六月八日に判決が下される予定であることが判明しました。そしてソウル地方法院は、趙得勲君に対し懲役十年の判決を下しました。

これらの経過をみても明らかなように、当局から家族への連絡は一回も行なわれず、一切の公表もされず一度の面会も許されないという状況の中で、趙得勲君に、事実審理も全く行なわれず、驚くべきスピード判決で懲役十年という重刑判決が下されたのです。 第二審も一蕃と同じく、十月七日の第一回公判から二十五日の判決公判まで、わずか二十日足らずという全く杜穣な裁判で懲役七年という不当な判決が下されました。二審では、弁護側証人として、趙君の留学時の下宿のおばさんと、彼の友人が法廷に立ちましたがそれも全く形式的なものであり、趙得勲君が、法廷の「被告」席に立つことこそが、彼にかけられた最大の攻撃であることを見るとき私たちは、彼を法廷から釈放するまで、抗議の声をあげ、救援運動を粘り強く展開していこうと考えます。

趙君は絶対に無実だ!

趙君は、「国家機密を探知、収集した」として「反共法」「国家保安法」などの違反に問われていますが彼に対する「被疑事実」について、起訴状、判決文を検討していくとき、私たちは、そのあまりのデタラメさに唖然とさせられます。 (それは、お粗末を通り越しているという他はありません。)たとえは、下宿先での交友関係が「下宿生を包摂するための工作」といわれ、ソウル大では、サークル活動はどうですかとか、軍に入隊しましたか。といった友人とのありふれた対話が、「韓国の諸般政治情勢、学生の動向、兵役義務に関する国家機密の探知にあたるとされ、更には、一般に市販されているソウルの市街地図や、「新東亜」という日刊雑誌を買ったことまでもが、「ソウル市の市街地、街路、重要施設の位置と韓国の経済動向に関する国家機密を収集したとされているのです。しかし、韓国国内で広く市販され、加えて日本においても知られている事柄が、「国家機密」に相当するとは到底考えられません。又、趙君への在日中の「被疑事実」については、たとえば、実在しない「白鶴」という大学付近の喫茶店で、「反国家団体構成員斉藤某」なる人物を紹介され、又、渡韓のため大阪でアルバイトをしていた趙君が、そのアルバイト料を受け取りに行った日に東京で、「斉藤某から韓国への潜入についての指令」を受けていたことになっています。その他、東京に「梅田駅」があったり岡山から東京まで、新幹線で2時問40分で行ったことになっていたり、一つ一つあげればきりわない程の矛盾点が存在しています。

趙君はこのようなデタラメきわまりない内容で裁かれ、重刑判決を下されているのです。韓国の法廷において、趙君を「スパイ」として裁く根拠は、「自白」によったものであり、。又、趙君の「自白」は5ケ月間、ソウルの密室に閉じこめられ、外部との接触も一切絶たれるという状況の中で、KCIAの精神的、肉体的拷問によって、強要されたものであることは明らかです。趙君と同じ、いわゆる「第二次逮捕者グループ」の李哲さんと康宗憲さんの二人は「行ってもいない北に行ったとされたり、スパイでもないのにスパイと断定されて殺されるのは何んとしても惜くい。今後、自分の身にどのようなことが起こるかわからないが、真実だけは明らかにしておきたいと起訴事実を全面的に否認し"自白"がKCIA・CIC(陸軍保安司令部)の拷問と、脅迫によるデッチ上げであることをはっきりと暴露しました。

KCIAの蛮行を許すな

趙君は、明らかに無実です。私たちは、「政治的悠意」によって「スパイ事件」をデッチ上げ、趙君をはじめとする18名の若い在日韓国人留学生らの命と青春を、無残に奪い去ろうとするKCIAの蛮行を断じて許すことはできません。

そして、この事件は同時に、デッチ上げることによって、絶えることなく闘い続けている、学生、キリスト者を中心とした反朴民主化勢力を民衆から弧立させ弾圧することにより政権の延命を図ろうとしたものであります。又、発表のあった11月22日、在日韓国大使館公使が、外務省に「事件の全容」を説明し、改めて「推名メモ」にもとづく、「対韓破壊工作取締り」を要請していることからも明らかなように、韓国民衆の民主化斗争と結びついて斗われている在日韓国人、朝鮮人の反朴斗争と、朝鮮の自主的、平和的統一を求める斗いの弾圧を狙ったものです。

私たち「趙得勲君を救う会」は、獄中の趙君の斗いを支え、彼とのつながりを緊密にしていくためにも、渡韓体制を確立していかなければなりません。そうすることにより、韓国人として自覚的に生きようとして祖国へ渡っていった趙君の軌跡を見すえ、民族的本体をかけて生きようとした趙君の生き様が私たち日本人につきつけている問題を、考えていきたいと思います。更に永続的な運動を作ってゆくためにも、趙君自身の救援と同時に、他の17名の救援会と共に、4名の死刑判決者に対する死刑阻止の斗いを、全国的に盛り上げ日本の権力と一体となった在日KCIAの暗躍を許さない斗いも推し進めていかなければなりません。

再び、冬をソウルの獄舎でむかえる趙君を支援し、私たちは、日本での救援活動を更に一層発展させていかなければなりません。

秋の日の一日の終りに獄中の君を想う。私達、全岡山大学々友は、君と共に在り、必ずや君を奪いかえす。

○韓国政府は、22名の留学生らを即時釈放せよ!
○目本政府は、22名の留学生の人権回復に努力せよ!

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