岡山大学新聞 再刊第2号(通刊237号) 1978年6月30日発行

〜103出版〜

註一 この表現は、<一九七三・五・八>(岡大当局が教養部英語担当の「坂本教官」を免職処分にしたと裁判課程で主張している日付)の<五>周年の {一九七八・五・八}より、一〇三教室を中心としてまかれつつあるものであるが、先日、再刊岡大新聞にかかわる人から<再刊第二号に何か書きますか>との提起をうけたので、これにいくつかの註をつけて広告位相で掲載してもらうことを提起し、応諾を得たものである。
 何故広告位相かといえば「坂本教官」は岡大新聞会の顧問教官でも<あった>のであり、岡大新聞会が当局の出した<処分>を追認するのでない限りそのイミは潜伏しつつも持続しており、岡大新聞の真の}再刊{はそのイミを奪還〜展開していくとき初めて可能となるだろうし、〜一〇三〜からの広告位相を越えた寄稿も可能となるだろうからだ。(このこととの関連で<広告掲載>料は奪還されるべき「坂本数宮」の〜給料〜の一部をもって当てることを提起する。)

註二 ”〜一〇三出版〜”
 〜一〇三出版〜は、{一〇三不退去}を罪とされる〜一〇三被告団〜(一九七三・五・一二、一〇三にて<五>名逮捕、うち<三>名起訴される)の表現〜運動の一形態である。
 〜一〇三出版〜の出現は一〇三〜の裁判過程がいま}再審{過程に突入しつつあることと深い関連をもっている。

註三  ”岡山大学学友会BOX内坂本気付〜”
 一九七五年三月、岡山大学学友会総務委員会は、前任者の退職にともない、学友会事務員の公募を行ない坂本ほか一名が応募した。
 大学当局は一部体育系サークルに圧力をかけて坂本の採用取消動義を幹事会に提出させたりしたが、圧倒的少数で否決され、結局二名とも採用された。

註四 ”岡大南宿舎{RB三〇二}”
 一九七三年十一月、<大学−国>は、{坂本とその家族}の居住する岡大南宿舎RB三〇二の明渡し訴訟を起こし、裁判所は実質審理を回避して一九七五・二・二五に<判決>を予定していたが、同二・一八に提起された「坂本教官」の処分取消訴訟によって<判決>は未だに宙吊られており、{RB三〇二}は、大学粉争の生み出した未曽有の空間性をはらんで、持続〜展開している。

註五 〜  〜一九七八・六・六〜
   〜一〇三被告団〜
     (文責・坂本)


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