岡山大学新聞 再刊第2号(通刊237号) 1978年6月30日発行

井上周次さんの死に寄せて

森永告発

 五月二五日未明、森永ヒ素ミルク中毒の被害者、井上周次さんが二四年の生涯を閉じた。
 お母さんの断片的な話を拾うと、小さい時は軽い脳性マヒで大人になれば働くこともできるだろうと医者に言われていた。ところが森永のヒ素ミルクの為に、彼の一生は大きく狂った。
六才になってやっと歩けるようになるが、その喜びも束の間、徐々に足が萎え、立てなくなり、いざるようになった。そしてとうとう十七・八才頃には寝たっきりの生活となった。七五年床ずれの治療の為に川崎病院に入院するが、ますます症状は悪化、植物状態となったまま五月二五日を迎える。ヒ素は真綿で首をしめるごとく、じわじわと周次さんの生命をうばっていった。
 長い長い家族ぐるみでの闘病の一生、
 「あの子に楽しかった時なんかありゃあせん]とお母さんは言われる。
 森永ヒ素ルクの被害者の中で、彼は決して特別な存在ではない。事件後二三年日の今日でも、全国で多くの人々がヒ素ミルクの後遺症に苦しんでおり、毎年何人かの被害者が亡くなっている。
 五年前の徳島地裁での判決と財団法人ひかり協会の設立により一応終心符が打たれたかにみえる森永問題であるが、今なお被害者の根本的「救済」は放置され続けている。
 ここで、彼の死に際し、再度森永事件の本質を明らかにし、我々にとって、森永事件とは何であったのかを考えてみよう。

森永事件は起こるべくして起こった

 二三年前の夏、岡山県を中心にして西日本に「乳児の奇病」が発生。黒い皮フ、腹部の腫れ、高熱、下痢などがその共通した症状だった。結局、森永乳業徳島工場で生産された紛乳に混入するヒ素が原因とされた。
 ヒ素は粉乳の添加物である第二リン酸ソーダに含まれていた。第二リン酸ソーダは本来ボイラ・機関車などの清罐剤に使われる。食品に使ったのは森永が初めてであろう。しかも精製された純粋なものでなく、不純物が多すぎて清罐剤としても不適当と返品されたものが巡り巡ってミルクに使われるという全く信じ難い経過である。
 この事件は森永にとってもひとつの災難であったとする見方もあるが、運悪くたまたま起こった事件では決してない。企業森永のなりふりかまわぬ利潤追求が起こるべくして引き起こした当然の結果なのである。

公害の発生を前提とした公基法体制

 森永の責任のがれと被害事実の抹殺策動に対し被害者の親たちは断固立ち上がった。その闘いは終いに事件を闇に葬り去ることを許さなかった。しかし、七三年の徳島地裁での判決、七四年の財団法人ひかり協会の設立は、犯罪企業森永の責任を問うにはあまりにも不充分であったし、森永が三〇億の基金を出して設立したひかり協会が、被害者(重軽症あわせて二万人以上と推定される)を救済しし切る具体的展望は何ら無かった。
 同年制定された公害健康被害補償法は、公害による人体被害を想定し、企業と国がその救済の為の金をあらかじめプールしておこうというものである。これは年々激化複雑化する公害を金で「補償」しはするが発生源への追求をそらすもので、体制として公害の存在を容認し、公害企業をかばうものである。そういった意味で、ひかり協会の設立を斡旋し和解=「解決」以後の公害に対する国の「解決」方針をよくあらわしている。

岡大も加害者

 事件発生時忘れてはならないのは岡大の果した役割りである。岡大病院の小児科は、資金面でのバックアップを受けていた森永への気がねと、手柄争いのために、「乳児の奇病」の原因発表を二〇日近くも遅らせた。その間にいたいけな乳呑み児たちは毒を飲まされ続け、幾人かは死に追い込まれたのである。
 以上のように森永事件は本質においても、事件後の処理、「収拾」の過程においても、また、国や大学の関与のし方においても、日本の公害問題を象徴的に物語っているのである。

今後の森永斗争

 裁判による決着は決着でこはなかった。後遺症に苦しこむ被害者の生活は、社会の中でみんなと共に生きる権利は依然としてうばわれたままである。施設に封じ込められた人、家庭内にこもらされている人。就職差別・結婚差別を受けている人。様々である。
 森永斗争の本当の勝利は事件を起こした森永の体質(利潤追求第一主義)を打倒し、すべての被害者が人間として生きる権利を取り戻すことにある。

井上さん、萩原さんのたたかいに支援、連帯を

 井上さんの家族は「死亡者は一律四〇万の香典及び葬祭料で森永と縁が切れる」制度=(被害者が死ねば死ぬはど森永はますます安泰)に断固抗議し、森永の責任をあくまで追求してゆく決意を固められた。
 また徳島では森永に娘さんを奪われ、自身もヒ素ミルクの被害者である萩原さんが森永.国に対して損害賠償のうったえを起こしている。
 二家族の決意は、被害者が取り込まれている不充分な「救済」体制−ひかり協会体制を批判し、森永・国の責任を追及し、被害者解放の未来を目指すものである。二家族のたたかいを断固支援し、共にたたかってゆこう。更に企業森永の犯罪を許さない意志表示として、森永全製品の不買をうったえる。

 ☆森永告発に結集しよう
 森永告発は犯罪企業森永打倒、被害者解放をスローガンにたたかってきた。
公害を許さず差別を許さない社会を共につくってゆこう。
 岡山市南方岡山森永告発


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