岡山大学新聞 再刊第2号(通刊237号) 1978年6月30日発行

農薬空中散布強行される

抗議の声を一切無視

産軍学共同,中教審路線の下で

 六月十六日早朝、自衛隊に守られて岡大農学部、県は半田山演習林一帯への農薬空中散布を強行した。昨年千葉県で起きた農夫死亡事故、今年の第一回散布(五月)による矢掛、井原などでのカイコ、ミツバチ等の大量死、と各地で農薬空中散布による被害が続出し、安全性に疑問が持たれている。
 この様な状況の中、農学部・県は「農薬空中散布を阻止する会(以下『阻止する会』)」を中心とする抗議、中止要請を一切無視し、安全性の証明すら出来ぬまま散布を強行した。
 この様な産(住友化学)−軍(自衛隊)−学一体となった攻撃、「専門家」の言う事だから正しい、とする態度を断固糾弾し、その根底にある中教審(中央教育審議会)路線−物言わぬ資本に従順な学生を創る−を粉砕して行こう。

三軒屋基地に着陸する散布ヘリコプター
 六月十六日午前五時頃より陸上自衛隊三軒屋弾薬庫をへり基地に農学部、県は「松枯れ防止」の為と称して農薬空中散布を強行した。
 本年の第一回散布(散布は通常二回行う)は五月二九日に行れたが、この時は「阻止する会」と北津寮が連名で農学部に中止要請文を提出したのみで、当日も数人が三軒屋へヘリ基地の確認に行っただけであった。
 その後矢掛町で散布予告外区域への農薬飛散によりカイコ三〇万匹が死んだのを始め、井原市などでも飛散によってカイコやミツバチが何万匹も死ぬなど事故が相ついだ。これらの飛散による事故はマスコミでも大きくクローズアップされ各地で反対運動が激化した。
 「阻止する会」も北津寮と共に学習会を開き、多くの人々に空中散布を危険性を訴えていった。
 その間島村演習林長と長掘農学部長に対し松枯れの実態公表などを求める公開質問状を提出し、両者と二時間位ずつ直接交渉を持った。
 両者とも散布は強行し、公開討論会を開く意志が無いと開きなおったが、二人の発言に重大な食い違い−演習林長は二九日の半田山での散布で住宅地への飛散があった事を認め、それはパイロットの質が悪かったからだ、と明言したのに対し学部長は飛散の話は無かったし、パイロットも一番優秀な人を頼んでいる−が有り、責任体制、連絡体制の不備をさらけ出し、よりいっそう不信感を高めた。
島村演習林長を追求する学友(6月9日農学部3階)
 また農学生会執行部も「阻止する会」と完全に共斗は組めなかったものの、島村演習林長に対し農薬空中散布中止の要請文を提出した。
 理学部に於いては「理学部公害研」がのべ二〇名近い学部生を集め、講義室を使用して公開学習会を開き安全性や反対運動の実態等を学習した。
 六月十六日には午前四時過ぎから四〇名もの教官、学生が弾薬庫ゲート前に結集したが、前日に薬品、作業員は中に入っていたらしく、ヘリポートもフェンスの向う、結局実力阻止はなし得なかった。この時西署の私服の車を学生が取り囲むという場面もあった。

「阻止する会」にも問題

 「阻止する会」は七六年の散布開始と共に組織され松枯れの根本原因は大気汚染である事、スミチオンによる人体被害が発生しており特に慢性毒性に関するデータがない、環境破壊をまねく、等の点を追求し散布に反対して来た。
 特に昨年は運動が盛り上がり、婦人民主クラブ等市民を含めた六〇余名の入山抗議集会(ヘリはこの人々の頭上に農薬を散いた)、島村演習林長との八時間の団交で散布延期の確認を取る(これは長掘農学部長によって反古にされたが)、等一定程度成果を収めた。 しかし本年は「阻止する会」事務局が長期的展望を持って阻止斗争が組めず、戦略的、戦術的にも充分に準備が出来ないまま散布を迎えてしまう、という問題があった。
 また農学生会に関しては執行部のみが阻止斗争を斗い、全学部生に斗いを共有化できなかった点が問題として残るであろう。
 一応今年をもって農学部による半田山演習林への農薬空中散布は終了する予定であるが、これで全てが片づくのでは無く、学生、住民の異議を無視して警察、自衛隊と一体になって攻撃をかけて来る農学部、ひいては大学という物を追求する運動を続けていかねばならないであろう。
(編集部)


[ BACK ]