岡山大学新聞再刊1号(通刊236号)1978年4月30日

磁針

最近マスコミをにぎわせているものに三里塚空港(成田空港)の記事がある。「羽田は混雑していて、国際線の空港が首都圏にもう一つ必要だ。」「三重塚では過激派学生が…」「農民ともっと話し合いを…」一見、第三者的にもっともらしく書いてあるように見える。
しかし何故農民が反対するのか、農民の立場からは述べていない。一般に、新聞というものは「中止」「正義の味方」「真実(事実ですらない時があるのに)を伝える」物であると思われているし、その姿勢を装っている。だが一度新聞が権力の側の一方的な記事を載せたらどうなるであろうか。いやすでにそれが行なわれていて、知らず知らずに浸透しているとしたらどうであろうか。自分自身の考え、主張が実は生まれてこれまでの間にマスコミ、教育によって他者から作られたものではないだろうか。自分ではそうでないと思っても。既成の概念を打ち破り、自らの思想を打ち固めなければならないだろう。今、六年の沈黙を脱し、「岡山大学新聞」が再刊されようとしている。七三年以降、岡屋大学の情況は、学生相互の交流がなく、個々の小さな殻にとじこもり、運動の停退が深く進行していった。この沈帯を打ち破るべく、「岡山大学新聞」を再刊しようとしている。この新聞が岡山大学の運動の核となり、運動の活性化がなされれば当初の目的が達成されることになるだろう.「岡山大学新聞」を学生のコミュニケートの場として確立させ、学生相互の交流が活発になることを願っている(き)


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