岡山大学新聞再刊1号(通刊236号)1978年4月30日

再刊に寄せて

 言論の自由の程度如何によって、その国の文明度あるいは民主化の程度が推測され得るという言葉を聞いた記憶がある。今日において言論の自由は以前にも増して重要になって来た感がある。
 新聞会の歴史をみると、新聞会は学生運動と共に生まれ、そして崩壊していった趣を呈している。従ってこの六年間新聞が発刊されなかったこともそれは学生運動の挫折に連がったと言える。このような理由によって新聞会の存在自体も今問われているわけであるが、組繊としての面目を今漸く整え、ここに再刊号をもって再生としたい。
 最初に述べたが、一国の文明度を測るのに言論の自由如何であるならば、大学における民主化、言葉を換えれば大学の存在価値は、新聞の内容によるのではないかと思う。
 新聞の価値はどこに見出せるであろうか。社会生活を営む我々を連ぐ役割、言わば社会の横の綱の役目をすることが最重要事なのではないかと思う。そう考えるならば新聞の待つ地位というものは、非常に重要なものであると考えられる。それを我々の新聞と対比するならば、正直言ってそれ程重要性を持つとは言えないかも知れない。
 これは単に我々だけの責任ではなく、この岡山大学という空間に生活する一人一人との主体性との関連をもあるのではないか。学生であるならば、自己の生活と密接な関係があるはずの大学そのものから顔を背けるということは、納得出来ないのである。
 このように考えると、新聞会の果たす役割は相対的なものなのかも知れない。
 しかしこれから発刊されるであろう続号によって残らか、大学論を問う上での参考となるならば、我々の使命は少なからずその意図が報われることにもなるし、ある程度の成功と言えると思いたい。


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