猫たちと過ごした18年9か月

2014年4月3日更新

我が家ではこれまでのべ6匹の猫を飼って来ましたが,とうとう最後の1匹も天国へ旅立ちました。18年9か月にわたる土屋家の猫生活は,ひとまず終了です。

なっちゃんさようなら

2014年3月25日午前4時40分,なっちゃんが天国へ旅立ちました。18歳9か月1日。人間でいえば90歳から100歳ともいう高齢に相当し,大往生だったと言えるでしょう。最後はさほど苦しむことなく旅立つことができたのが,せめてもの救いです。

あきも天国へ

2013年10月7日、急に数回吐くようになり、食欲が無くなりました。おしっこもほとんど出ません。翌8日も吐いたので農工大へ連れて行きました。診断の結果は膀胱ガンが再発し、ほぼ膀胱全体が腫瘍でふさがれていて腎臓から来る尿管もふさがっているということ。ガンが再発あるいは転移する可能性は手術前にもしっかり告げられていましたが、3か月というあまりの早さに打ちのめされました。9月18日の定期検診では正常だったのに。

この日は入院させ、内科療法を試してもらいます。9日の朝面会に行き、主治医から「年齢的、体調から言って再手術は無理。最後は病院ではなくあきちゃんの住み慣れた自宅に連れて帰り、お二人と一緒に過ごすことが幸せでしょう」と言われました。

夕方までカリウム値を下げる治療をしてもらい、夜、妻があきちゃんを連れて帰りました。しかし自宅で静脈点滴をしようとしたら翼状針を入れるのに失敗したのか、留置針のあたりから出血し、包帯がみるみる真っ赤に。あわてて点滴を中止して止血し、その日は皮下点滴にしました。

10日、昼過ぎにあきちゃんを農工大に連れて行き、留置針を再セットしてもらいました。帰宅してから一休みして静脈点滴を開始です。今度は翼状針も医師が刺してくれているので、問題なく液が入っていきます。あきちゃんはほとんど寝ているけど、たまに起きてソファーから床に降りようとします。体温が下がっており、冷たいフローリングよりソファーの方がいいのですが、なぜか冷たいところが気持ちよいのでしょうか。息が浅く、早くなってきました。

17時ごろには、いきなり立ち上がって点滴液のスタンドをひっくり返しそうにするなど、意外と体力は残っています。しかし、18時36分頃、発作が起きました。身体を痙攣させ、口を開いて苦しそうに息をしてます。先生が心配されていた肺水腫になったのでしょうか。妻と二人で泣きながら身体をなでてやります。一時は瞳孔が開いてしまいましたがしばらくすると落ち着いて、立ち上がりたそうに上半身を起こすなど動きを見せます。

しかし、最期が近づいてきました。だんだん呼吸が弱くなってきます。そして2013年10月10日20時3分、ついに呼吸が止まりました。土屋あき、18歳3か月の生涯を閉じました。うちに生まれてきてくれてありがとう。

あきちゃん、ガンの手術

正月ぐらいからあきちゃんの膀胱に白い影が映るようになりました。先生は結石か腫瘍かはっきりしない、針を刺して組織を採取すれば詳しいことがわかるけれど、それなりに身体に負担がかかるのでどうしましょうか、という話でした。父が亡くなったこともあり、しばらくはそのまま先送りに。

4月になると血尿がどんどん酷くなり、白い影は大きくなってきました。農工大動物医療センターを紹介してもらい、精密検診。やはり膀胱ガンでした。手術すれば生き延びるけれど、高血圧のため、今の状態では麻酔に耐えられないとのこと。とりあえず血圧を下げる治療を行うことにしました。

6月には血圧もだいぶ下がり、手術が可能になってきました。24日には18歳の誕生日。その日から農工大に入院です。ちょっとカリウムの値が高かったので予定を延ばし、28日に手術を行いました。膀胱は残したまま、腫瘍を摘出して縫合。尿管が残っているので、徐々におしっこは普通にできるようなるとのこと。7月2日に退院し、久しぶりに我が家に帰ってきました。

いまのところ、合併症や感染症も見られず、大手術をしたとは思えないほど元気になりました。自分からソファやキッチンの椅子に飛び乗ってくるし、階段下まで歩いて行ってくつろいでいます。ただ、トイレ以外の床にポタポタとおしっこがこぼれています。高齢女性にありがちな尿失禁なのでしょうか。

ふゆ、天国へ旅立つ

2009年2月28日午前9時15分、息を引き取りました。

「ふゆ」ちゃん、ガンと闘う

2008年の秋、ふゆがガンになり、現在闘病中です。
10月中旬、なんか最近元気がないなと思って体重を量ってみると、1キロぐらい痩せてガリガリになっています。出窓に飛び上がるのもやっとだし、背中をさするとゴツゴツ骨が当たります。以前はかなりのおでぶさんだったのに。
アンソニー動物病院で診てもらうと腹部にしこりができてました。組織を採って精密検査をした結果、腸間膜リンパ腫。つまり血液ガンでした。
11月から抗ガン剤とステロイドによる化学療法を開始。抗ガン剤はロイナーゼかオンコビンを静脈注射し、エンドキサンを家で飲ませます。静脈注射は2週間に1回だけど、朝連れて行って、注射後も様態が急変しないか診るために一日病院に預けておき、夕方引き取りにいきます。
12月になると腫瘍はすっかり消えて「寛解」という状態になりました。ガンの場合、完治することはあまりなく、症状が出なくなる「寛解」をもって治療成功というそうです。また腫瘍が再発する可能性はありますが、抗ガン剤治療を続けることでその時期を先延ばしできます。
ところが、1月中旬ぐらいからまた元気がなくなってきました。自分ではまったく餌を食べなくなり、缶詰を無理矢理食べさせても吐いてしまいます。腫瘍は相変わらず消えたままなので、抗ガン剤の副作用と、全体的な体調不良のせいでしょう。缶詰も療養食である高カロリーのヒルズA/Dにし、さらに自宅で一日おきにリンゲルの点滴をやっています。吐いてしまうので、脱水症状になるのを防ぐためです。
2月になってからは、ますます体重減少と体力低下が続いています。調子のいい日は一日で缶詰1個分食べるときもありますが、だめな時は8分の1でも吐いてしまいます。朝起きがけ、出社前、帰宅後、就寝前と家族で手分けして、間隔を空けてやっているのですが。とうとう体重が危険ラインといわれていた3キロを割ってしまい、トイレ以外でおしっこをしてしまうことも何度も。
会社に行っている昼間、ふゆの状態が心配なので自宅に監視カメラを付けました。Skype用などとして安く売っているUSB接続カメラとUSB延長コードで、ふゆのトイレ・水場の上から撮影。LiCamというフリーソフトで取り込んでいます。このソフトにはMotion Detect機能があり、何か物体が動くと駒撮りします。猫はほとんど寝ていて動きませんから、一定時間間隔でタイマー撮影すると、何もない画面ばかりになってしまいます。このMD機能によって、ふゆが水を飲んだりトイレに行ったりした動作を確認できます。

「かの」ちゃんさよなら

2008年6月23日午前8時40分、かのが入院先の病院で息を引き取りました。10歳になる前日でした。
金曜日、20日の夜中から元気がなく、ぐったりと。肌色が真っ白で、食欲もありません。食べたものを吐いてしまいます。
土曜日、大石動物病院に連れて行くと、貧血で低体温、胃腸も動いてないとの診断。猫は平熱が39度ぐらいなのに、36.1度しかなく、かなり危ない状態だと。それでも、缶詰を鼻先に持っていくと自分で食べる元気はあるので、何とかなりそう。
貧血対策にB12を含む総合ビタミン剤、胃腸の動きを強化する薬、そしてステロイド剤を注射してもらいました。
ところが、夜になってもますます元気がなくなってきます。水を飲みに行くと、水入れにあごを乗せた状態で固まってしまいます。きれい好きなのに、寝たままオシッコを垂れ流し。呼吸が浅く速くなって、まるでマラソンの後のようです。
日曜日、大石先生は外出していて連絡がつきません。地元で休日も診療していて、評判のいい病院を探しました。浅間山の近くにあるアンソニー動物病院がいいらしいと聞き、さっそく連れて行きました。
病院に着くと、すぐに血液検査。そして呼吸困難のため酸素マスクまで出てきます。検査の結果は、正常値の5倍以上の血糖値で、かなりひどい糖尿病。他にも併発症があるようだとのこと。
ただちに酸素室に入れ、インシュリンを注射しながら点滴をしてもらいます。
いったん引き上げて、夕方面会に。この時点では、インシュリンが効いて血糖値は正常値の倍ぐらいまでに下がってました。最初は半目を開いてましたが、やがてぱっちりと目を覚まし、身体を起こして寝返り打ったり、多少は元気になったようです。夜間、医院は無人になってしまうので心配でしたが、預けることにしました。
そして月曜日の朝。8時18分に院長先生から電話があり、「まだ呼吸は荒いけれど、一晩持ちこたえました」との報告。一晩持てば、あとは長期療養だと思っていました。午前の面会は10時からなので、のんびり朝食の支度をしてました。
ところが12分後の8時半、「今、呼吸が止まりました」との電話。あわてて病院に向かいました。着いたのは8時45分ぐらいだったでしょう。女医さんに抱えられてかのが連れて来られました。「8時40分、息を引き取りました」。 まだ、身体にぬくもりが残っています。
糖尿病だけでなく、肺などに併発症が出ていて、それが命取りになったのではないかと。具合が悪くなってから、わずか60時間足らずのできごとでした。
そのまま、家に連れて帰り、ソファーに安置してあります。まるで、普段寝ているかのようです。今夜は一緒に過ごし、明日、慈恵院でお別れです。

お誕生日(2004年6月24日)

今日は子どもたちの誕生日。上の「なつ」「あき」「ふゆ」3姉妹弟はそろって9歳になった。下の「かの」は正確な誕生日不明だが、今日ということにしてあ るので6歳になる。このところ病気もせず元気に過ごしている。なつの網戸破壊、ふゆのおしっこ、かののいたずらは相変わらずだが。これからも末永く一緒に 暮らしたいものだ。

死に行く猫

2002年7月1日(月)、スポーツクラブの帰り、食材を買って10時半ごろ帰宅。家から50mぐらい手前のスーパーの向かいの路上に白い物体が。 猫が横たわっている。頭の回りは血の海。かわいそうに。この道は抜け道になっていて、けっこう交通量が多い。通りすぎようとするとピクピク動いている。ま だ生きている!
だが、よく見ると頭がつぶれており、目も白目どころか血の固まりだ。これではいくらなんでも助けようがない。
このまま路上に横たわっていては、次々とひかれてペシャンコになってしまう。それはあまりにも可哀想だ。スーパーのビニール袋を出して、それで包むように して道の端に移動してやった。動かすとはげしく首をふり、血が飛んで来た。「ごめんね、だけどこれしかできない」と、ぼくは猫にビニール袋をかぶせて立ち 去った。
これまで、車で走っていてひかれた猫は何度か見て来た。だけど、歩いていて足元に死に行く猫がいたというのは初めてだ。都市部の外猫には、常に交通事故の危険がある。うちの子どもたちは外に出すまいと、固く決心した。

「ふゆ」失踪…無事帰還

2002年2月23日(土)、「ふゆ」が遊びに行ったまま、まだ帰って来ない。「なつ」と「ふゆ」は普段は家の中(2階)で飼っているのだが、天気 のいい休日には外に出してやることがある。この日も3月下旬くらいの陽気で、外に出した(この日は「あき」も「かの」も外出)。たいてい夕方には帰って来 るのだが、「ふゆ」だけ帰らず。ただ、「ふゆ」はこれまでにも一泊ぐらい無断外泊しているので、あまり気にしなかったのだが、さすがに数日帰って来ないと 焦りまくる。
このところ、毎日のように探しているのだが、早く帰って来て欲しい。

4兄弟と1匹

1995年6月24日、うちに出入りしていた野良猫の「ちび子」が私の布団の中で5匹の子猫を生みました。うち1匹はその日のうちに死んでしまい、名前も 付けられませんでしたが、雄2匹、雌2匹の兄弟姉妹たちは「はる」「なつ」「あき」「ふゆ」と名付けられ、ちび子と優しい飼い主のもとですくすく育ちまし た。
年が明けると子猫たちも大人になり、乳離れ。「子供達をよろしくお願いします」とばかりにちび子は家によりつかなくなり、4匹の兄弟姉妹だけになりました。
ところが、8月に千葉の山に無線やりに行って、捨てられていた子猫を拾ってきました。というわけで、また我が家には5匹います。
「かのこ」の写真
鹿野山(かのうざん)で拾ったので「かのこ」と命名。その後、避妊手術をしようとして、雄であることが判明。「かの」に改名 (^^;

「かの」との遭遇

1998年8月1日、趣味のアマチュア無線をやりに千葉県君津市の鹿野山に行き、その山中に捨てられていた小猫ととの運命的な出会いを果たしました。その日の記録を抜粋。
金曜日、本当は明け方出発するはずが荷物の積み込みに時間がかかり、国立インターから高速に乗ったのが9時半。しっかりと首都高の渋滞にはまり、京葉、館山自動車道を通って現地についたのは11時半ぐらい。もちろん、だれもいない。
(中略)
そうこうしているうちに、隣のスペースに車を止めて山の中に山菜を取りに行っていた農家のおばちゃんがもどってくると、その後ろに子猫がついて来た。聞いたら山の中で出会って、勝手についてきたという。生後1カ月ぐらいの雌猫だ。
とても人なつこくて、昼食用に持って来た調理パンのソーセージとかをあげると喜んで食べる。この子猫を置いて帰ると確実に餓死してしまうだろう。そんなこ とをしては、もう二度と鹿野山に足を踏み入れられなくなる。そのため、撤収までに元気だったら5匹目の猫として自宅に連れて帰る決心をした。
夜はスパゲティをゆで、缶のミートソースをあたためてかける。ミートソースも子猫にあげた。
やっぱり山なので夜になると寒くなって来た。Tシャツ単パンで外にいると震えてくるので車の中に入る。
50MHzでのコンテスターズ前夜祭だが、今回は人がいない。JHUもXDBもOFEもBVI も出て来ない。
そのため、さっさと猫と一緒に12時前に寝た。
(中略)
子猫を乗せて現地を出発したのは23時。途中、道を間違えて外房方面に行きかけるが、なんとか戻って来た。

kano我が家に来た直後

年末から、「あき」が病気になってしまい、一時はかなり重体でした。尿道結石で、おしっこが出なくなる、出てもすごく痛いようです。利尿剤を注射してなん とかおしっこを出して、水を飲まないので点滴で補給しました。いまだに餌を食べないので、流動食を無理矢理シリンジで飲ませています(99年1月6日)。
この年末年始は、5匹とも何事もなく無事に過ごしました。
2000年2月1日、こんどは「かの」の具合がおかしくなった。トイレに行ってもおしっこが出ず、うめいている。またもや尿道結石。朝、医者に連れて行っ て利尿剤を注射してもらうが、効果無し。会社を休んでしばらく様子を見ていたが、苦しそうにしている。午後、また医者に見せたところ全身麻酔をかけ、尿道 に金属の棒を入れ、超音波で尿道を砕いて取り出すことになった。
さすがに当日、翌日はぐったりとしていたが、4日には元気になって「はる」を追いかけたり、破壊活動を再開した…

「はる」ちゃんさようなら

2001年3月27日
 気が付くと「はる」が元気なく、やせ細っている。餌も食べてないようだ。28日、大石動物病院に連れて行ったら体重が2週間で1kg減少している。脱水 症状を起こしているという。原因はよく分からないが、栄養剤などを注射してもらう。その後、毎日通院・注射。自分からは食べないので缶詰の餌を無理矢理口 に突っ込み、食べさせる。とにかく体力を回復させなければ。
4月8日
 「はる」はますます痩せて元気がなくなっている。金曜日にカルカンの「まぐろ・たい」をあげたら自分からちょっとだけ食べたので喜んでいたのだが、一口 だけで後が続かない。土曜日から「クリニケア」という濃縮液体飼料をシリンジで流し込む。これはコンデンスミルクのような液体で、それが口の回りの毛につ いてバリバリになっているのだが、自分からは掃除しようとしない。
4月9日
 「はる」は床にうずくまってじっとし、ただ頭をぶるぶるとふるわせている。病院に連れていくと肝硬変の末期で手遅れだという。先生と相談して、仕事で家 を離れている妻が帰ってくるまでなんとか持たせようということにする。とりあえず栄養補給・水分補給のために点滴打ってもらうことにして、今夜は病院に預 けた。夜、妻から「明日帰るけどはるちゃんの具合は」の電話。覚悟するよう説明したら泣かれてしまった。ぼくも久しぶりに家で飲む。
4月10日
 朝、大石先生に電話。獣医大の教授に相談したところ、末期症状で助からないだろうと言われたとのこと。夜、妻と行くことにする。
夕方、出張から10日ぶりに妻が帰る。動物病院に行って相談したところ、苦しがって暴れているわけでもないのに「安楽死」させたくないと、3人の意見が一 致。点滴を打ってもらって連れて帰る。口の回りが流動食でバリバリになっていたのを拭き、ブラッシングできれいにしてもらう。妻の膝の上で寝ている姿は、 くつろいでいたいつもの光景と変わらないのだが。他の4匹の猫を連れて来て、お別れの挨拶をさせるが、もちろん猫はわけがわからず警戒するばかり。夜は2 階の寝室で、親子3人川の字になって寝る。6年前に「はる」が生まれた部屋だ。
4月11日
 二人とも仕事を休み、「はる」に付き合う。砂糖水をシリンジで少しずつ飲ませる。チューブ入り流動食は食べないので、水でゆるめてシリンジで飲ます。と きどきむせるが、それ以外はおとなしい。もう起き上がることができないが、眠るでもなく、目を見開いたままぼーとしている。目の前で手を振っても反応しな い、何も見えてないようだ。昼前、大石先生から電話があり、「奥さんのケアをお願いします」。心使いに感謝。部屋を出るのは交替にして、必ずどちらかが見 守ることにする。
午後5時ぐらいから呼吸が荒くなる。いよいよ最期か。5時47分、大量に水を吐く。痙攣を繰り返し、呼吸が止まってしまう。胸に手をあて鼓動を確認する。6時ちょうど、心臓停止。享年5歳10ヵ月。妻の出張帰りまでがんばって持ち応え、24時間一緒にいて、たった一日の休みに旅立つなんて、「はる」は最後まで頭のいい猫でした。ありがとう、君と過ごした時間は楽しかったよ。
4月12日
 妻は今日から名古屋出張なのだが、上司に頼んで遅めにしてもらい、市内にある慈恵院(犬猫墓地)で火葬することにした。その前に毛をちょっと切って記念 に残す。朝9時過ぎ、家の中をぐるっと回ってみんなにお別れの挨拶。人間と同じように火葬し、骨を拾って骨壷に納め、読経してもらう「立ち会い葬」をお願 いする。かごから出して段ボールの「棺桶」に。下には「ちび」が出産するとき、産室の箱に敷いていたタオルを敷く。
待合室でぼんやりしていると、ガラス戸の外に子猫が。お寺で飼っているのだろうか。妻は「はるちゃん色だね、慰めにきてくれたんだ」と。10時、棺桶をかかえて焼き場へ。焼香して最後の別れ。また待合室に戻る。慈恵院には次々と段ボール箱をかかえた人が来る。
11時、また焼き場へ。小さな骨になった「はる」と再会。二人で骨を骨壷に拾い、本堂で読経してもらう。国分寺駅まで妻を送り、自宅に戻って骨壷を居間に安置。ぼくも着替えて仕事に行った。夜、帰宅すると玄関前に大石先生より花束が届けられていた。一人の部屋で号泣…
4月13日
 朝、居間のテーブルに骨壷、写真、戒名(?)、猫缶、それに花束をセットして線香をあげる。「かの」が花束にチョッカイを出しそうになるので叱る。外を 見たら池の金魚が死んで浮かび、卵からかえったおたまじゃくしが食いついている。さすがに金魚に感情移入はしてないのだが、続けざまの「死」はもの悲し い。庭に穴を掘って埋めてやる。昼間は久しぶりに五反田オフィスだったので、地下の写真屋に火曜日夜から今朝まで撮ったフィルムを現像してもらう。きれい に写っていて良かった。
4月15日
 夕方、妻が出張から帰る。意外とサバサバしているのが不思議。「はるちゃんのおかげで頑張って仕事できたわ」。「はる」の好きだった「動物奇想天外」を見る。
4月17日
 初七日。特に何もしなかった。

「猫の事情」の猫たち

会社が高田馬場に引越し、専用線を引いてインターネット常時接続環境になったのが1995年の6月。64kbpsで30万円とかしたのだが、それでも東京インターネットの登場で価格がぐっと下がり、うちのような零細企業でもIPリーチャブルになったわけだ。
会社でWebサーバを建て、ページを作ったもののコンシューマ対象のビジネスをやってないのでそれほど公開するコンテンツがない。そこで社員にそれぞれ HTMLの練習を兼ねてページを作らせた。その一つが小澤さんの「猫の事情」。彼女の知人、友人、上司(^^)の飼っている猫たちを紹介したページであ る。
あれから6年近くになる。すでに荒木家の「メル」、小澤家の「ちび」、土屋家の「はる」が世を去ってしまった。もっとも荒木家、小澤家には人間の子供が、土屋家には「かの」と新しい家族が増えている。またいずれ、小澤さんがメンテナンスに乗り出すことを期待しよう。
さらに訃報。なんと石川家の「たけし」と「むつみ」が続けざまに交通事故で死んでしまったという。実家で外飼いしていたら1匹ひかれてしまい、翌日、もう1匹も跳ねられたという。姿の見えなくなった連れあいを探しに行ったのではないかと…
とうとう、小澤家の「クマ」も世を去ってしまったという。3月24日の日曜日朝、ご主人の方へ歩いてくる途中で突然倒れ、そのまま数時間後に息を引き取ったと。病気とかの予兆もなく、まったくの突然死だったようだ。享年6歳。合掌。




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