07/28 電子書籍への愛情が詰まっている 『電子書籍奮戦記』 萩野正昭著

日本でもっとも早くから、20年近く、電子書籍の普及に取り組んできたボイジャー社長、萩野正昭さんの自伝的回顧録だ。昨年出た本で、だいぶ前に読んでいたのだけどここで紹介を書くのが遅くなってしまった。再度、再再度読み込んで取り上げる。

書名:電子書籍奮戦記
著者:萩野正昭
出版社:新潮社
発行:2010年11月20日
定価:1300円(税別)
ISBN978-4-10-328411-6


●映画青年から映画を超えた作品作りへ

萩野さんは大学で自主制作映画サークルに所属。卒業後しばらくサラリーマンをやったものの、映画への思いを断ち切れずに東映に就職した。だが徐々に映画の手法に限界を感じるようになった。映画では時間の流れはプロデューサーしか制御できない、ユーザーは単にそれを受け入れるだけだ。一方、本では作家が読者の読み方をコントロールできない。プロデューサーまかせの映像コンテンツであって良いのだろうか。

萩野さんは、映像の流れをユーザーが自由にコントロールできるメディアとしてレーザーディスク(LD)に注目した。そして1981年7月、パイオニアの子会社、レーザーディスク株式会社に転職した。

LDはフィルムやビデオテープと異なり、コマ送りや停止、逆転などランダムアクセスが自由にできる。1983年、萩野さんは、映像と解説テキストのシーンを縦横に組み合わせた『ビデオディスク・昆虫記「ファーブルの世界」』というLDを作った。本と映画が一つになった実験的な作品の第一歩である。

1984年、ロサンジェルスでボイジャーの創設者ボブ・スタインと運命的な出会いを遂げる。毛沢東主義の革命運動家であった彼は、一方ではニコラス・ネグロポンティやアラン・ケイなどとも交流が深く、さまざまな表現方法に取り組んでいた。

ボブは萩野さんに、ビデオ1コマに絵コンテ1枚を収録したデモを見せた。2000枚の絵コンテをコマ撮りしたビデオでは、67秒で1編の映画のストーリーを体験できる。もちろん早すぎて何がなんだかわからないが、再生スピードをユーザーがコントロールできれば、絵コンテを自由に読み、理解できる。ボブ・スタインは萩野さんに

これは映画がはじめて本になるかもしれないということなんだよ

と語った。ここから二人で電子書籍の旅が始まった。

1986年にボイジャーを再訪した萩野さんに、ボブ・スタインは「ハイパーカード」を使ったデモを見せた。ハイパーカードは電子カードに文字や映像、音声を追加でき、カードどうしをボタンでリンクできるハイパーテキストの概念を初めて実現したMacintoshのソフトウェア。もちろんCD-ROMの制御も可能だ。

ロバート・ウィンター教授が作った「ベートーベン第9交響曲」には、教授の講義がハイパーカードのスタックとしてフロッピーディスクに収められた。MacintoshのCD-ROMドライブにハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーンフィルハーモニーのベートーベン第9交響曲をセットする。ハイパーカードで講義のテキストや楽譜をクリックすると、関連した部分がCDから再生される。こうして初の電子本が完成した。

●ボイジャー・ジャパン設立へ

90年代に入ると、ボイジャーはパイオニアとの業務提携を提案してきた。だが、パイオニアは、零細ベンチャーに過ぎないボイジャーに興味を示さなかった。ボイジャーとパイオニアの板挟みになった萩野さんが選んだのは、パイオニアから独立してボイジャーと組むことだった。1992年6月、萩野さんは11年間勤めたパイオニアを退職。自力でボイジャー・ジャパンを設立した。

ボイジャー、そしてボイジャー・ジャパンが目指したのは、コンピュータを使ったテキスト表現の可能性だった。それは当時流行っていたMTVに代表される、CGを駆使した刺激的なマルチメディア表現へのアンチだった。

アメリカ・ボイジャーの人たちは、未来のコミュニケーションがMTVのようだったら願い下げだと思っていました。そこで、映像に対して露骨にテキストをぶつけて、だめ押しに「the next frontier」とまでいってみたのが、「エキスパンドブック計画」でした。

エキスパンドブックはハイパーカードを駆使して作られ、93年には最初の作品として『ジュラシック・パーク』『アリス』などが出版された。この時点で本の基本的な機能である、目次、ページサーチ、文字検索、付箋・栞、アンダーライン、メモノートなど、ほとんどの機能はすでに完成の域に達していた。

1995年にはベストセラーとなった『CD-ROM版新潮文庫の100冊』を出版した。この時点で縦書き、ルビ、禁則も実現している。

だが、98年ごろになるとエキスパンドブックの問題点も見えてきた。エキスパンドブックは、一企業のフォーマットである。エキスパンドブックで読むためにファイルを作っていたら、将来的にボイジャーがなくなったら読めなくなる。

現在のMacintoshではハイパーカードが動かない。初期のMac OS XはClassic環境にすれば実行できたが、今はClassic環境が廃止されてしまったので、エキスパンドブックを読むことができないのだ。

何百年たっても本というものは中身を読めなければいけない。そのためには特定企業の製品に依拠するのではなく、パブリックでオープンな環境で動く必要があると力説している。現時点でその条件に合致し、それなりの表現力を持つ環境といえば、HTMLということになる。

●ノー・アマゾン、ノー・アップル、ノー・グーグル

また、萩野さんは企業や権力によって出版の自由が脅かされ、検閲が行われるてはならないと警鐘を発している。

インターネット・アーカイブ創設者であるブルースター・ケールの言葉を引用して、

ブルースター・ケールは、「ノー・アマゾン、ノー・アップル、ノー・グーグル」と、こう言いました。そしてひときわ力を込めてこうも付け加えたのです。「ディレクトリー・トゥ・パブリッシャー」「出版社へ、直接に」

よく電子出版の話で出てくる「中抜き」、アマゾンやグーグルが著者と直接やりとりするという話ではない。本を作る主体は出版社であり、それと読者がダイレクトにつながるべきだというのだ。

たとえばアップストアで本を売ろうとすると、アップルによる「検閲」を受けなければならない。iPhone/iPadで読むコンテンツはアップストアから購入しなければならないので、アップルの方針に従わないコンテンツは、iPhone/iPadユーザーには届けられない。

インターネット・アーカイブやボイジャーは、大企業によるコンテンツ流通の寡占・コントロールに「ノー!」と訴えているのだ。

●小さなもののための出版

萩野さんの基本ポリシーは「小さなもののための出版」を守る、ということだろう。ミニコミの試みだ。

テレビ局を開局しようとしたら膨大な費用がかかり、そもそも免許が取得できない。本だけが個人でもなんとかも作ることができる唯一のマスメディアだ。取り次ぎが内容を検閲するなどということは、日本では基本的にない。そして、電子書籍ならばさらに安く、手軽に、全世界へ作品を送ることができる。

本は、費用も、他のメディアに比べて格段に安くできます。映画なら何千万円、場合によっては億単位のお金がかかるところですが、本ならせいぜい100万円程度でしょう。本は、個人で責任が持てる範囲で、好きなことができるのです。つまり、なろうとおもえば少数派の味方になることができます。それが本というメディアの魅力ではないでしょうか。本が「小さなもの」に味方するメディアになろうとしてなったのかはわかりません。ただ、結果として、そうなりました。

●受注仕事を断り、電子書籍事業に専念する

だが電子書籍は儲からなかった。受注仕事をやって糊口をしのいできたけれど、それに追われてしまい、電子書籍の業務がおろそかになってしまった。受注仕事をやればわずかでも利益が出て、また受注仕事に精を出す。いったい何のためにボイジャーを作ったのか、萩野さんは悩んだ。

そして2004年、大決断をした。受注仕事をやめて電子書籍専業で食っていくことにしたのだ。2006年にはセルシスインフォシティと共同で始めた携帯電話向け電子書籍事業が軌道にのり、ようやく利益を上げることができるようになった。

それでも中小企業経営者として、苦しかった時代を振り返ってこうも書いている。

資金繰りに困って夜目が覚めることほど不気味なものはありません。寝静まった夜中に、ただただ一人の頭で考える方策がいい方へ向かうはずはありません。悪い方へ悪い方へと進みます。これを引きずっていけば、翌朝電車に飛び込むことへもつながりかねない深淵へと踏み込むことになりかねません。「考えたって仕方ない、今は眠ろう」そう言い聞かせることができたのはせめてもの幸運でした。

資金繰りに追われて先が読めなくなる。当初の理念はどこかに行ってしまう。萩野さんの苦悩は痛いほど自分にも突き刺さってくる。

●電子の本も奥が深い

世間では萩野さんを「Mr.電子書籍」と呼ぶことがある。本人はそう呼ばれることに違和感を持っているそうだが、

電子出版に対する情熱だけは一度も失ったことはありません。電子出版をやめようと思ったことはありません。18年間、電子出版一筋になってきました。不思議です。

と述べているように、萩野さんの半生は電子書籍と歩んできた。萩野さんこそがMr.電子書籍だろう。そのMr.電子書籍は最後にこう語っている。

紙の本も、電子の本も、奥が深いものです。決して甘く見てはいけません。

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