04/11 はるちゃん、10年目の命日

今日は東日本大震災から1か月目ということで、各地で追悼行事などが行われていたが、ぼくら夫婦にとって4月11日は「はる」(雄)の命日として忘れることができない日だ。はるは1995年6月24日、なつ(雌)、あき(雌)、ふゆ(雄)の4匹と一緒に生まれた。4匹の中では長男格というのか、わりと落ち着いていて他の子たちが騒いでいると見守りに来たりしていた。頭も良く、キッチンのドアノブに前足をかけて開けてしまうのは、はるだけだった。

たいした病気もなく過ごしていたのだけど、2001年の3月27日、気がついたら元気がなく、体重が1kgも減っていた。3月10日に4.8kgあったのが17日で3.8kgまで落ちていた。人間でいえば10kg以上激やせしたことになる。獣医に診てもらったけど原因は不明ビタミン剤などを注射してもらい、チューブ式の高栄養剤をもらって食べさせることに。

当時、妻はまだ船に乗る仕事をしていて3月末から10日間外航に出ることになった。ぼくがはるの看病をしなければならない。しばらくは一進一退という状況だったが、4月に入ると症状がどんどん悪化し、流動食もほとんど食べずフラフラになった。

4月9日、病院で末期肝硬変との診断をくだされ、妻が帰るまで延命のために入院する。大学病院に連れて行くにしても手遅れだという。10日の朝、神戸港に着いた妻から「はるちゃん、どう?」と電話があった。これまでにも子どもたちが病気で具合悪くなったことがあるけれど、獣医に診てもらって無事に元気になっていた。今回もそのつもりだったのだろうが、「すでに危篤状態。今日明日が精一杯」と伝えるしかなかった。夕方帰宅した妻と病院に行って先生と相談。安楽死という話もあったが、家で最後まで看取ることにした。リンゲルを注射してもらって連れて帰る。

11日はぼくも仕事を休み、はるを間に挟んで川の字になって過ごす。もう流動食も飲み込まないので砂糖水をシリンジで少しずつ飲ませてやる。17時47分、水を大量に吐き痙攣を繰り返す。18時0分に心臓が止まった。5歳10ヶ月。妻は猫の健康日記に「おじちゃんとおばちゃんの手の中で天国に召される。ありがとう。私たちのところに生まれてきてくれて」と書いている。

翌日、府中市の慈恵院で火葬してもらい、骨を骨壺に収めて家に帰ってきた。

妻は13日からまた船に乗ってしまったので、本当に彼女の帰宅までがんばって耐えてくれた。

ぼくはこの後2週間ぐらい、抜け殻のようなダメ人間になってしまった。仕事もほとんど手につかず、酒を飲んでは涙を流していた。祖父母や親戚、恩師たちが亡くなった時とはまったく異なる喪失感だった。年寄りが去っていくのは自然の摂理であり、それなりに受け入れることができた。だが、はるちゃんの死は、猫といえどもぼくらにとって子どもを失ったのと同じような悲しみだった。もちろん、飼い主は彼らの一生を世話し、最後まで面倒を見なければならないのだが。

その後、かのとふゆが世を去った。かのの時は具合が悪くなってから72時間持たず、病院に駆けつけた時にはすでに心臓が止まっていた。ふゆはがんで数ヶ月苦しんだ末、妻がちょっと目を離した間に息を引き取っていた。もちろん悲しくてたまらないが、はるがぼくを少しは強くしてくれたようで、ダメ人間にはならずに済んだ。残っているのは雌のなつとあき。やはり女は長生きする。もうじき16歳の誕生日だ。人間で言えば80歳とか90歳に相当するという。いずれというか、あと数年のうちには彼女たちにもお迎えが来るだろう。少なくともそれまではおじちゃんとおばちゃんは一緒に住んで、この子たちの面倒を見続けるよ。

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