01/03 『語り継ぐ1969 糟谷孝幸追悼50年 ーその生と死』

昨年送られてきたけれど、開いてなかった本。480ページもあり、手にも心にもずっしりと重い。元旦から読むにはふさわしくないか。『語り継ぐ1969 糟谷孝幸追悼50年 ーその生と死』(糟谷孝幸50周年プロジェクト編 社会評論社)。

1969年11月13日、佐藤訪米阻止闘争を大阪扇町公園で戦った岡大生糟谷孝幸さんは機動隊員荒木幸男、赤松昭雄、杉山時夫3名による警棒の乱打を受けて頭蓋骨骨折の重傷を受けたのに放置され、翌日亡くなった。警察は「学生の火炎瓶があたった」「学生の鉄パイプがあたった」などと暴行を否定。「告発する会」が3警官に対する特別公務員暴行陵虐致死罪の付審判請求を起こしたが、棄却された。

この本は高校・大学の同級生や同志、そしてその後の世代からの寄稿と当時の資料によってできている。

プロジェクトの発起人であり医学部を中退して奈義町日本原の農家に婿入りし、日本原自衛隊基地反対闘争を闘い続けている内藤秀之さん(北津寮の先輩でもある)をはじめ、新聞会の先輩である山田雅美さん、東大全共闘議長の山本義隆さん、救援連絡センターを立ち上げた水戸喜世子さん、北津寮の1年先輩で3・26三里塚横堀要塞戦を闘った光吉さん、新聞会の後輩で高砂市議の井奥君・・・ 知っている人、知らない人、多くの人たちが追悼文を寄せている。

69年には中学生だった自分は文章を書いてないけれど、新聞会ボックスから持ってきた岡山大学新聞69年12月15日第126号を載せていただき、わずかなら尽力できた。

60年安保闘争の東大生樺さん、67年羽田闘争の京大生山崎さんと比べて、地方大学故か語られることの少ない糟谷さんのことを少しでも残すことができれば。

本書には72年1月9日連合赤軍榛名ベースで殺された行方正時さん、75年5月25日マル青同に殺された北津寮生大沢真さん、二人の岡大生の名前も出てくる。権力犯罪ではなく、党派によるおぞましき殺人。二人の死をも語り継がなければいけないだろう。

犠牲になれというのか

犠牲ではないのだ

それが、僕が人間として

生きることが可能な唯一の道なのだ

抑圧する者ー全てにー災いあれ!!

糟谷さん11月8日の日記より

そして11月13日、曾根崎警察署での最後の言葉

「黙秘します」

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