01/20 D-One新春特別講演会で山路徹さんの話を聞く

D-One(全国デジタルオープンネットワーク事業協同組合)JSC(日本SOHOセンター)の共済の新春特別講演会、APF通信社代表山路徹さんによる「マスメディアでは伝えられない戦場の真実とは?!」がちよだプラットフォームスクウェアで開催された。

元々、JSCの石塚さんが山路さんと旧知の仲で、「この前、ビルマ総選挙の取材で拘束された山路さんを新年会に呼んでみたら」ということで、話が決まった。その時点では2007年にビルマで射殺された長井健司さんが所属していたAPF通信社の代表であること、11月にビルマの総選挙を取材しようとして拘束されたということぐらいしか知らなかった。

ところが講演会が決まってからしばらくして、ニュースでビデオジャーナリストと女性タレントとの不倫騒動なるものが報じられた。あまりテレビを見ないので、麻木久仁子さんも大桃美代子さんも知らないのだが、「あれ、この山路徹さんて、D-Oneで講演をお願いした人じゃないのか?」。D-Oneの理事も「講演来てくれるのかな」と心配する声があったが、予定通り決行することになった。

講演会場ではマスコミの撮影お断りとしたので、当日はプラットホームスクエアの前にテレビカメラが並ぶ異様な雰囲気。フジテレビや週刊新潮、サンケイスポーツなどの記者が控える前、石塚さんの司会で講演会が始まった。意外とD-One・JSC関係者は少ない。

石塚さんが不倫騒動でさんざん山路さんに突っ込んだ後、本題である戦場報道に話題が移った。山路さんがAPF通信社を立ち上げたのは1992年。その前年にソ連が崩壊し、4月からはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発、日本ではPKO法が成立するなど、世界各地で内戦が勃発していた。テレビ朝日のスタッフだった山路さんは、紛争危険地帯に行くことが許されないテレビ局から飛び出し、自分たちで独立通信社を立ち上げた。

「テレビ局で海外取材に行くには、事前に企画書を提出し、どこでどんな映像を撮るのか申請しないとダメなのです。だけど現場でどういうことが起きるかわかりません。予定していたシーンが撮れないかもしれないし、予想外のことが起きるかもしれません」と、テレビ局のやり方に不満を持っていたという。

APFでは、紛争地帯に率先して飛び込み、現場で民衆の側にたって取材し、帰国してからテレビ局に売り込むという方針をとっている。費用をかけて行ってきても、それを買ってもらえないリスクを犯しても、リアルな報道を目指している。たとえばソマリア内戦では93年、国連平和維持活動に従事していた米軍がアイディード派の拠点という民家を空襲し、国連発表で16人、ソマリア側発表で73人、赤十字発表で54人が殺された。APFは現地スタッフがその生々しいシーンを撮影した。血を吐くけが人、頭が半分なくなっている遺体・・・ その当時、日本のテレビ局スタッフは安全なケニアに引きこもって、外国通信社の記事を翻訳して日本に送っていたのだ。もちろん、モガティシオで多くの市民が殺されたことなど知りもせず。住民を殺したのは米軍だが、その弾丸の予算は日本政府が支出している。つまり、日本の税金でソマリア人が殺された。

山路さんは「報道は戦争の抑止力にならなければならない。そのためには現地に報道スタッフがいて、生の情報、映像を撮らなければだめなのだ」という。ソマリアではスタッフを殺された通信社の支局長が、「応援が来るまで私はここにとどまって報道しなければならない」。ボスニア・ヘルツェゴビナでは女性ジャーナリストが「ここで報道することが私の仕事だ」と、山路さんに
語ったという。

その山路さんにとっても、昨年11月、ビルマ総選挙を取材しようとして警察に拘束された時はきわめて危険な状況だったという。軍事政権は総選挙に関するメディア取材を禁止したので、山路さんはタイから密かに潜入した。ミャワディーで取材中、秘密警察に拘束され、刑務所に放り込まれた。「留置場を豚小屋というけれど、本当に豚小屋状態。糞尿の臭いが充満してました。私は独房に入れられたけど、隣の雑居房にいた人は政治犯で、20年以上閉じ込められてました。彼らは私がジャーナリストであり、ビルマの状況を世界中に知らせるためにやってきたことを知っていて、応援してくれました」。
その翌日、刑務所に対する反政府勢力のロケット砲攻撃が行われた。ここにいたら死んでしまうと思ったけれど、看守は鍵をかけたまま逃げてしまった。だが政治犯は「ここが壊れたら脱走できる」と元気だったという。実際、反政府勢力はそこに政治犯が収容されていることを知っていて、周りの建物は攻撃したけれど、囚人のいる建物にはロケット砲を打ち込むのは控えていたのだ。

翌日、山路さんは釈放された。石塚さんが日本にいる反政府ビルマ人から聞いた話では、本当は山路さんは首都ヤンゴンに送られ、懲役20年の刑に処せられる予定だったが、連絡ミスで釈放されたのだという。

ビルマから帰国後、山路さんはそのいきさつを報道しようとしたのだが、逆に拘束事件から不倫問題が発覚し、それどころでなくなってしまったのが現状。これからは、テレビ局などにあまり頼らず、Ustreamなどインターネットを通じて直接報道していきたいという。

90分にわたる講演会の後、隣のカフェに移動して懇親会が開催された。山路さんも最後まで出席し、ぼくもご挨拶することができた。テレビ局クルーはその間もずっと外で待機して、懇親会が終わって出てきた山路さんを取り囲んで取材責めにしていたのには驚いた。

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