浅田彰の『構造と力』をやっと読了

初版は83年9月10日だけど、手元にあるのは84年3月28日付けの第17刷。大学院を出て、まだ岡山に残っていた最後の数日か、東京に戻って仕事を始めた前後に買ったわけだ。
確か当時は数ページ読んで、わけがわからなくて放り投げた。


だって、いきなり

はじめにEXCESがあった。
この命題はすでにミスリーディングである。はじめにXがあったと言うとき、Xは何らかの実体としてイメージされるだろう。EXCESとは、しかし、そのような確実な原点なのではなく、むしろ、デリダのいう差延化の如きもの、従って、「EXCESがあった」という形でしかとらえらえぬものなのである。
端的に言って、EXCESとはズレである。何からのズレか? 生きた自然の織りなす有機的秩序からの、である

と出てくる。そもそも「EXCESって何?」なのだ。ここで躓いてしまった。
構造主義の入門的知識も持ってない理学修士にとって、これは軽いジャブどころか強烈なパンチ。たちまちダウンしてしまった。
哲学の大学院を出た友人の家に本書が置いてあって、「難しい」と言ったところ、「大したことはない」と返されて、感心したものだった。
25年たった先月、なぜか急に本棚から引っ張り出してきた。ホコリだらけでカバーも日焼け。それでも中身は相変わらずよく分からないまま。ただ歳をとって、分からない本でも読み続ける忍耐力はついたようだ。通勤電車の中で少しずつ読んで、ようやく最後のページに到達した。
こういう本は、きっと書斎で机に向かって哲学辞典をひきながら読むものだろう。少なくとも電車の中でつり革につかまって断片的に読み飛ばすのは、ぼくにはふさわしくない。出てくる言葉、人名を知らなさ過ぎるもの。
26歳だったスキゾキッズ浅田彰も52歳となり、京都造形芸術大学大学院長に。立派に管理職になってしまった。
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