今から31年前,1984年に大学を出て東京に戻ってきたぼくは,岡山時代の友人である河西保夫君から一緒に仕事をしようと誘われた.というか,誘われていたから就職もしなかったわけだが.そして5月だったか6月だったか,株式会社クラブハウスを設立した.河西君が代表取締役社長,ぼくは取締役.スタッフはぼくが最年長の26歳で,あとは大半が大学生.親会社は当時アルバイトニュース(アン)で飛ぶ鳥を落とす勢いだった学生援護会.援護会グループの中で役員に援護会社員がいないという,ユニークな存在だった.
乃木坂の高級マンションにオフィスを借り,全国学生サークル電話帳『CLIP』を作ったり,援護会の新規学生向け事業を模索したり,電博と組んで大学サークルのイベントを仕切ったり,好き勝手なことをやらせてもらった.常に大学生が出入りして,サークルの部室というイメージだった.
だが,1年経っても2年経っても援護会の新規事業に結びつけることができない.金は湯水のように使うけれど,言う事を聴かない子会社に援護会もとうとう堪忍袋の緒が切れ,2年目の秋には予算大幅削減・自立しろということになった.
スタッフもリストラとなり,ぼくは援護会のシステム部に就職するか,独立してくれと言われ,独立の道を選んだ.その後,社長以外のメンバーはほぼ全員退社して,オフィスが河西君のマンションの一室に引っ越したこともあれば,新しいクライアントを見つけて青山に舞い戻り,派手にやっていたこともある.浮き沈みはあったものの,今でも出版やイベントプロデュースで活躍している.
そのクラブハウスのメンバーが久しぶりに集まろうということになった.Facebookで呼びかけたので,やや若い世代というか30~40台が中心.
土曜日の夜,都内はあいにくの雨だったけれど,青山のイタリアンレストラン・クオンズのペントハウスに19人が集まった.
知っているのは河西,茂成,大野,そして10歳ぐらい歳が離れているけれどD-Oneで繋がった藤倉ぐらい.竹内,鳥屋,木宮,山和,中田,野村,高橋,加藤,川島といった乃木坂創業時のメンバーは連絡が行かなかったり,都合が付かずで不参加だったのは残念.能瀬はヤンゴンだし,河内は富山だから仕方が無い.
それでも,共通の人物や歴史はいろいろあるので,話題は尽きなかった.竹内たちとThinkを作った元ヤンキー少年が,来週から某中央省庁の大臣官房情報セキュリティ担当官になるという.みんなノリは昔とあまり替わってないけれど,大人になったねぇ.