【書評】30年ぶりに佐藤泰志と再会 『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』

佐藤泰志
佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家

福間健二 監修
河出書房新社
定価:1600円+税

本郷で打ち合わせの後、神楽坂のオフィスまでぶらぶら帰る途中の書店で目に飛び込んできたのが『佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家 福間健二監修』。30年ぶりに佐藤泰志の名前が蘇ってきた。

佐藤泰志という作家のことを知ったのは30年余り前のこと。岡山大学新聞の編集長として当時教養部英語講師であった福間健二さんに対談や寄稿をお願いし、そこで紹介された。1982年4月30日発行の新入生歓迎号では「教官九人が選んだ 新入生へ薦める本」

福間健二
教養部英語科現代イギリス詩
●『きみの鳥はうたえる』佐藤泰志:河出書房

 過酷さをしいられる青春の詩を新鮮なリズムでたたきつけている。

とある。当時、「きみの鳥はうたえる」は読み、感動した記憶がある。84年にぼくは岡山を去って東京に戻り、仕事を始めた。福間さんも同じ年に東京に戻り、都立大に赴任している。

それ以来、佐藤泰志の作品を手にすることはなかった。1972年から佐藤泰志は主に国分寺市内に住んでおり、ぼくの家からほど近い東元町にも居を構えたこともあったという。84年から『アルバイトニュース』にエッセイを連載している。ぼくも84年からアルバイトニュース発行元である学生援護会の仕事をしていた。近いところにいたのに、直接遭遇することなくすれ違ったわけだ。

しかし、佐藤泰志と直接会うことはかなわなかった。彼は90年10月10日、国分寺市内の雑木林で自殺しているのが発見された。享年41歳。

村上春樹や中上健次とほぼ同世代で、芥川賞候補に5回もあげられながら入選せず、不遇の作家として忘れ去られようとしていた、はずだった。

だが、彼の作品を支持する根強いファンの思いは佐藤泰志を蘇らせた。彼の命日である2008年10月9日、クレインという小さな出版社から『佐藤泰志作品集』が発行され、2010年には『海炭市叙景』を原作とする映画『海炭市叙景』が公開、これをきっかけに小学館や河出書房から絶版になっていた彼の作品が続々と復刊された。

この4月には映画『そこのみにて光輝く』が公開される。新聞などでも「死後24年たって復活した作家」と、かなり力を入れて取り上げている。今度こそ佐藤泰志が正当に評価されることを期待したい。

さて、この『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』だが、映画『そこのみにて光輝く』の上映に合わせて出版されたアンソロジー。彼が函館西高校時代に書いた未刊行短編小説『退学処分』と『青春の記憶』が収録されている。文章のうまさに、高校生が書いた小説とはとても思えない。この2本を読むだけでも本書を買う価値がある。

さらに彼と関わったさまざまな人が登場する。佐藤泰志の故郷である函館市で映画館を運営し、『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』制作の推進役となった菅原和博が”佐藤泰志文学を映画にする”、『海炭市叙景』監督を勤めた熊切和嘉が”『海炭市叙景』を監督して”、『そこのみにて光輝く』の監督を勤めた呉美保、プロデューサーの星野秀樹、脚本を書いた高田亮の対談”映画『そこのみにて光輝く』”・・・

福間さんは”すべてを宙づりにする”というタイトルで21ページという、やや長い文を寄せている。その中でこう述べている。

佐藤泰志のことを考えると、いろいろな思いが湧いてきて整理しきれなくなる。彼がどういう人間だったか。書けずにいること、言っておきたいことがある。そう思ってきた。
(略)
佐藤泰志の「評伝」を書けない。この二十年の自分に不満を言うとしたら、第二か第三にこのことが出てくる。彼の一周忌に集まりをもったときに、ぼくはある編集者とこれを書く約束をした。それを果たしていない。何度試みても途中で投げ出している。それなのに、潔くあきらめることができなかった。

”すべてを宙づりにする”は、現時点で福間さんが出した「評伝」なのだろうか。映画『海炭市叙景』については不満を持っていた福間さんが『そこのみにて光輝く』に対しては

原作とはちょっと違う魅力の奥行きをつくりながら、これこそが佐藤泰志だというものを逃がしていない。ひとくちに言えば、佐藤泰志が何にあこがれて文学をやっていたのかということである。

と高く評価している。

もうじき、映画『そこのみにて光輝く』が公開される。久しぶりに映画館に足を向けてみよう。

「【書評】30年ぶりに佐藤泰志と再会 『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』」への4件のフィードバック

  1. 秋月dacで辿り着き佐藤泰志の名前が出たのでついコメントしてしまいました。
    函館人で尾道在住のフルート吹きです。

    海炭市叙景、函館人としては居酒屋兆司以来のヒットでした。
    「不満を持った」気持ちも十分わかるけど、彼に再び光を当てたのだから。

  2. solarisさん,コメントありがとうございます。海炭市叙景はsolarisさんにとってすばらしい映画だったのですね。函館人ではない,佐藤泰志の東京での友人であった福間さんにとっては函館にこだわりすぎた点が不満だったようです。
    そこのみにて光り輝くはご覧になりましたか? 私はまだ見てないけれど,近日行こうと思っています。

  3. 35年前、大沼駒ヶ岳に一年間暮らしていました。(19歳家出)。
    牧場でお世話になり、休日は函館で過ごしていました。
    海炭市・・映画も拝見。当時の私が彷徨っていた函館がそこにありました。
    2年前、函館を再訪。すっかり駅前も無機質な駅ローターリーに変貌。
    私の函館は佐藤さんの作品の中でしか会うことは出来ません。
    函館文学・・タウン誌街はこだてに寄稿もさせて頂きました。
    函館がむせび泣いています。

  4. 志鷹豪次さん、はじめまして
    青春時代を過ごした函館、いろんな思い出があるのでしょうね。私にとっての岡山のような場所かと。
    まだ津軽海峡を越えたことがなく、函館はおろか北海道が未踏の地です。いつか行ってみたいと思ってはいるのですが・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください