【書評】『動員の革命 ソーシャルメディアは何を変えたのか』津田大介

douinnokakumei
動員の革命
ソーシャルメディアは何を変えたのか
津田大介 著
初版発行日2012/4/10
判型新書判
ページ数264ページ
定価本体760円(税別)
ISBNコードISBN978-4-12-150415-9

2012年4月に出た本なので、ほぼ2年前になる。本郷三丁目の古書店で購入。

東日本大震災から1年間、各地で被災者支援、復興、反原発の運動が起こった。津田さんもジャーナリストとして現地に入るとともにソーシャルネットを駆使した支援活動を展開してきた。

それらの体験と、アラブの春・ジャスミン革命やオキュパイ・ウォールストリートといった世界的なムーブメントを引きつつ、ソーシャルメディアを活用した社会運動の新たな方向性を提示している。

もちろん、現実に社会が動くためにはパソコンの前に座っているだけではダメで、民衆が街頭に出て行かなければならない。それは投票であったり、講演会であったり、デモや武力闘争であったりする。また寄付・カンパといった金銭的支援もものすごく大事だ。

こういった運動に民衆を巻き込むこと、つまり「動員」するための手段としてソーシャルメディアは非常に便利な道具だ。インターネットが普及する前は、市井の個人が大衆を動員することはかなり面倒だった。ぼくの学生時代、1970年代だとガリ版のビラ、立て看板、マイクによるアジテーション、情報誌への掲載といった方法ぐらいしかなかった。ガリ版や立て看板は技術がいるし、手も汚れる。伝えられるのは数メートル四方を通る人だけだ。マイク演説は、やっている側の自己満足に過ぎなかったのではないかと思う。

いずれにしろ、かなり覚悟が必要だった。

インターネットが一般化し、メールやWeb、ブログなどでこれらの呼びかけは手軽に、誰でも実行でき、瞬時に広がるものになった。

本書ではモーリー・ロバートソンとの対談でイラン反政府運動、チュニジアでのジャスミン革命からエジプト革命、ロンドン暴動、オキュパイ・ウォールストリートなど世界各国のソーシャルメディアに媒介された運動を分析している。2009年のイラン反政府運動は暴力的弾圧によって不発に終わったが、ITが浸透していたチュニジアでは一気呵成に運動が盛り上がり、独裁者のベンアリ大統領は亡命して政権が倒れた。

もっともエジプトではITがさほど普及しておらず、ムバラク政権は国内のネットと携帯電話の回線を遮断してしまったという。そこで起きたのがリアルなオフラインでの動員だったというのだ。

モーリーはこう語っている。

それがかえって人々がデモに行く結果を招いてしまった、と。ツイッターやフェイスブックで「ムバラク打倒!」とか「世の中を変えろ!」そ憤っていると満足してしまう。これはまさに日本でも同じですけど。「ああ、すっきりした」「デモ、みんな頑張って。俺、用事があるから」と。それが、インターネットが切れてしまうと、何が起きているのか知りたくなる。そして、うわあっと外に出てくる。

組織を作り、発展させるためのソーシャルメディア

ソーシャルメディアが革命運動を起こすわけではない。悪政があり、民衆の間に強い不満があり、それが臨界を越えたときに大衆が起ち上がり、政権が抑えられなくなって革命が起きる。敗北する革命もあれば勝利する革命もある。一時は成功したかに見えても、結局反革命が権力を奪い返すことも少なくない。それはインターネット以前・以降も同じだ。フランス革命にしてもアメリカ独立戦争にしてもロシア革命にしても中国革命にしても、インターネットなどなかった時代のこと。残念ながら、日本では民衆蜂起による権力奪取は実現していないのだ。

インターネットはその便利な道具に過ぎない。だけどインターネットを運動側が使わないのはもったいない。著者は社会運動のためのインターネット利用法を述べている。

陸前高田市の仮設住宅でツイッターを通じて復興のための活動をしている佐藤一男さんの言葉が印象的だ。

「当然、僕らも自分でツイッターとかで情報発信をしていきますよ。なぜかと言うと、情報発信しないところは注目されない。何もリターンがないと思っていますから

情報発信しなければリターンがない。マスメディアが取材に「来てくれる」のを待っていては取り残されてしまう。情宣の重大さはレーニンが「何をなすべきか」で強調したように、運動の基本なのだ。

著者はソーシャルメディアの特徴を5つ掲げている。

  1. リアルタイム ~速報性と伝搬力
  2. 共感・協調 ~テレパシーのように共有し合う
  3. リンク ~具体的行動につながる
  4. オープン ~参加も離脱も簡単
  5. プロセス ~細切れの情報が興味を喚起する

これらの特徴をビジネス、街おこし、ジャーナリズムの3分野でどう活用すればいいか、もう少し具体的なアイデアを出して提案している。

あまりソーシャルメディアと関係ないけれど、地域コミュニティを立ち上げる時に覚えておかなければならない数値が「3年」なのだという。同じ目的を持った人が集まり(導入期)、コミュニティが生まれて活動が活発化し(成長期)、さらに人が増えて成熟期を迎える。しかし、人が増えすぎると純度が薄くなり、創設メンバーが離反して最終的にはコミュニティそのものが消滅する(衰退期)。維持することだけが目的となったコミュニティも珍しくはない。だから

中長期的な目標を設定して3年の期限を切って総括する。そして目標をクリアできていなければ、スッパリやめる。期限を切らなければだらだらと続けていくことになってしまいます。コミュニティをつくる際には3年を目安にする。これを覚えておいてください。

3年持たなかったものもあれば、30年続いているものもあるけれど、自分がやってきたサークル、研究会などなど痛いほど当てはまる。

クラウドファウンディングや寄付が普及するとも言っているが、これは実際に社会運動とどう繋がっていくかは分からない。いまのところ出資者を募ってモノ作りなどを行うキックスターターは活況みたいだけど、国産クラウドファウンディングはどうなんだろう。

デジタルイノベーションに世代論はおかしい

ところで本書の「おわりに」には梅田望夫さんへのインタビューから世代論が述べられている。1960年生まれの梅田さんは「僕はデジタル技術が起こしたイノベーションに立ち会えなかった世代なんだよ」と言う。

どういうことかというとスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツは1955年生まれ、孫正義は1957年生まれ。彼らは「売るほど時間がある大学時代にパーソナルコンピュータというイノベーションがそばにあった」というのだ。梅田さんはそれに間に合わなかったから評論家になったと。

そして第2のイノベーションはウインドウズ95が発売され、ネットスケープナビゲーター2.0が登場した1995年に大学生だった1973年前後生まれの世代が起こした。この世代は堀江貴文、藤田晋、近藤淳也、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンたち。

しかしこの主張はおかしいだろう。技術の進化は一度で終わるのではなく、断続的に続いていく。国や地域、環境によっても普及のスピードは違っている。実際ぼくは1957年生まれだけど、大学時代にパーソナルコンピュータを触れることは無かった。というか70年代の8ビットパソコンでは実用的なものではない。大学院時代に実験データを整理したり、英文ワープロとして使ったぐらいか。

当時、8ビットパソコンのソフトを開発して成功した会社で残っているところがどれだけあるか。孫正義より日本のITベンチャーにインパクトを与えた西和彦の名前は水面下に沈み、アスキーという会社すら消滅してしまった。

もちろん、時間がありあまっている学生時代に何か新しい技術、イノベーションに触れ、それに積極的に関わることはいいけれど、3年遅れたから評論家になったというのは屁理屈にしか過ぎない。「おわりに」に付けるのはまさに蛇足だったように思え、残念。

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