05/12 30数年ぶりに三里塚を訪問

府中の有志グループで三里塚闘争に連帯していこうという話になり、まずは現地を訪問することになった。府中からは車2台で向かう。NさんやAさんは何度も訪れているベテランだが、ほとんどの人が生まれて初めての三里塚。ぼくも学生時代、開港前後の闘争高揚期に来ていたものの、大学院に入ってからは反対同盟の分裂もあり、足が遠のいていた。

まず、天神峰の市東孝雄さんの家に到着。現闘30年というMさん、「市東さんの農地取り上げに反対する会」のYさんが出迎えてくれて、お話をうかがう。市東さんの畑は知らないうちに地主が成田空港会社(NAA)に売却してしまい、土地取り上げ裁判の最終局面に来ている。ビニールハウスから納屋、トイレにいたるまで土地明け渡しを命ずる「公示書」が掲げられている。これは2月20日の早朝、地裁職員が無断で入ってきて掲示していったという。公文書なのに市東さんの畑ではない地番が書かれており、それを斜線で消している。訂正印も押されていない、ずいぶんいい加減なものだ。
koujisyo
黙々と農作業をしている市東さんに挨拶して、南台の畑に向かった。敷地を出ると公安警察の車と空港警備会社の車がぴったりと付いてくる。
police
空港をぐるっと大回りして、団結街道の先にある市東さんの畑。ここはおじいさんから3世代、90年にわたって丹精込めて世話をしてきた豊かな土地だ。周りをフェンスで囲まれ、団結街道の痕跡がわずかに残っている。この畑にも公示書が立てられている。
hatake
やがて市東さんの家に戻り、空港に隣接して立っている監視ヤグラに上がる。目の前に誘導路があり、離着陸するジェット機がひっきりなしに通る。
sanrizuka_kaidou
sanrizuka_takeoff
その後は市東さんの家の離れで、各自持参した弁当を広げて昼食。市東さんからは千葉名産の落花生や手作りの漬物をいただく。やがて市東さんもこられて、参加者と懇親。集会などでは聞けない、生の生活者・農民としての市東さんの話をうかがうことができたのは有意義だった。
shitou
孝雄さんは一時三里塚を離れていたが、99年にお父様の東市さんが亡くなった後、実家に帰って農業を継いだ。この時点でNAAは強制収用のための手続きを取り下げ、事業認定処分も失効したので、落ち着いて農業ができるはずだった。ところが88年、NAAは地主から密かに土地を買い取っていた。前地主はそのことを隠し、15年間にもわたって市東さんから地代を騙し取っていたのだ。普通なら地主が詐欺で刑事事件になるはずだろう。

やがて市東さんの家を出て、すぐ近くにある東峰神社へ向かった。参道は延々と両側を白いフェンスで囲まれ、「まるでパレスチナみたい」と驚きの声が出る。かつてここには鎮守の森があったが、それも今はフェンスの向こう、木々は伐採されてコンクリートで塗り固めた誘導路になってしまった。参加者からは、「ここで盆踊りとか夏祭りやるのもいいね」という声が出る。
touhou2
touhou
東峰神社を後にして、反対同盟事務局次長である萩原進さんの家にちょっとだけ寄る。農作業中だった萩原さんと庭先で立ち話が盛り上がる。「このあたり、小学校も廃校になってしまった」と。
SANYO DIGITAL CAMERA
空港北端の産廃処分場跡地を見学。成田市が公団から土地を借りて産廃を埋めていたのだが、本来なら廃止時に撤去しなければならない産廃に土を埋めてNAAに返却し、NAAは滑走路にしてしまったそうだ。
sanpai
最後に芝山町菱田にある鈴木加代子さん宅を訪れた。2010年6月12日に義父の鈴木幸司さんが86歳で亡くなられ、2012年1月7日には最愛の夫である鈴木謙太郎さんを脳溢血のため、57歳という若さで失っている。鈴木家は義母のいとさん、加代子さん、そしてお嬢さん2人という女性だけの4人で暮らしている。周囲は全戸が空港容認派となり、村八分状態。女世帯となってから嫌がらせは激しくなり、夜中に周りをうろついたり、毒餌をまかれて飼い犬が死んだり、猫の死体が放り込まれることもしょっちゅうだという。だけど加代子さんは「私たちは何も悪いことしてない、ここで農業をずっとやって生きていくんだ」と元気いっぱい語ってくれた。
SANYO DIGITAL CAMERA
7月29日には市東さんの農地取り上げ裁判判決が予定されている。府中グループでは7月7日に笹塚で集会を開く。今回、ぼくはビデオ担当として参加し、1時間近い映像を撮ったのだが、これを編集して上映する。実は初めてNIKON D7000で動画撮影をやってみた。前夜フル充電したのに鈴木さんの話を聞いているところでバッテリーが切れてしまった。スペアバッテリーが必要だし、インタビューを撮るなら外付けマイクも用意しないといけない。ピントが合ってないカットがあったり、まだまだカメラになれなければダメだ。

「05/12 30数年ぶりに三里塚を訪問」への2件のフィードバック

  1. 三里塚現地闘争には参加する機会がありませんでした。でも、管制塔から花びらのように、多数のビラが空を舞う光景はいまも鮮やかです。ともすれば忘れてしまいそうになる勇気が湧いてきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください