02/09 講演会「三宮克己の朝鮮戦争従軍記 〜日本は朝鮮戦争で何をしたか〜」

府中市教育センターで元府中市議の三宮克己さんによる講演会「三宮克己の朝鮮戦争従軍記 〜日本は朝鮮戦争で何をしたか〜」が開かれ、30人ほどが参加。私は主催者の「憲法の使い方講座」から頼まれてビデオ撮影を担当。

三宮さんは86歳、第二次大戦敗戦を朝鮮半島で迎え、戦後は船員をされていた。1950年の朝鮮戦争勃発により、当時、日本の船会社を統括していた船舶管理委員会はGHQの命令で米軍の後方支援に駆り出されることとなった。三宮さんは9月15日のインチョン上陸作戦に参加し、米兵や物資の補給を担当した。

三宮さんが乗っていたのは普通の商船、貨物船ではない。戦車揚陸艦、LST(Landing Ship of Tank)という軍艦である。砂浜に乗り上げ、前のゲートを開いてブリッジを渡し、直接戦車など重量物を積み下ろしできる。三宮さんの乗っていた船は無事だったけれど、日本のLSTも機雷などによって何隻か沈没し、日本人が犠牲になっている。米軍からは「お前らは海兵隊だ」と言われたという。

また、日本海軍の掃海艇部隊は敗戦・武装解除後も解体されず、日本近海の機雷撤去作業に従事していた。この掃海隊も朝鮮戦争に従事し、米軍から大いに感謝されたという。

だが、日本人が朝鮮戦争に従事していたことは、ほとんど明らかになっていない。日本政府はGHQと民間企業である船舶管理委員会との契約であり、政府としては把握していないという立場で一貫している。三宮さんは積極的に朝鮮戦争従事の事実を発表している少ない証人だ。防衛省防衛研究所の石丸安蔵氏による『朝鮮戦争と日本の関わり −忘れ去られた海上輸送-』にも引用資料に三宮さんの名前が出ている。

先日の父の葬儀で朗読した「お別れの言葉」の中にも米軍立川基地勤務時代を振り返って『朝鮮戦争の最中、初めて連日米軍輸送機に乗りこんで軍需品の輸送に励んだ思い出も』とあった。父は事務職員だったから戦場までは行ってないだろうが不思議な縁を感じた。

sannomiya

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