07/07 豊田直巳さん フクシマ元年原発震災 講演会@府中

府中市女性センターで開かれた平和祭り主催「フクシマ元年原発震災 豊田直巳スライド&トーク」に参加。事前準備には関われなかったけれど、当日はプロジェクターの接続やビデオ撮影のお手伝いをしてきた。

あいにく雨交じりの天気に、女性センターの内規?で宣伝が十分にできず、参加者がどれだけ来るかちょっと心配だったけれど、54人が参加し、3時間近いディスカッションで盛り上がった。

豊田さんはぼくと同じ学年。府中市にも80年代に住んでいたことがあり、参加者とも顔見知りのよう。チェルノブイリ原発事故、湾岸戦争、イラク戦争など世界各地の事件を追っており、3・11直後から福島に入って被災住民、とりわけ原発事故の被害者を取材してきた。

講演会では、撮影した膨大な写真が上映された。

牛乳が出荷停止となり、牧畜業を廃業した相馬市の男性が「原発さえなければ」と書き置きを残して自殺する。豊田さんは男性の妹や酪農家仲間の姿をとらえる。妹さんは「原発に殺されたんです」と怒りをぶつける。

あるいは、自宅前の道路で県や警察が放射線量の測定をやっていて、何度尋ねても「安全です」としか言われなかったのに、豊田さんたちが測定したら非常に危険な状態であることがわかり、あわてて避難する一家。

ショックだったのはガレキの下から死体のつま先が出ているシーン。取材スタッフだけでは救出することができず、役場に連絡しても手が回らないと言われ、そのままにしていくしかなかったという。

牛舎の中で飢え死にした牛たち、屋外に放たれて野牛、野豚となった家畜たち。野豚は隣の畑や家を食い荒らすので、飼い主はエサでおびき寄せ、数百匹を泣く泣く毒殺したという。原発の放射能で直接死んだ人はまだいないかもしれないけれど、奪われた命は決して少なくない。

今年の4月には規制解除となった川内村でミュージシャンを迎え、大勢の報道陣の前で合同入園式・入学式が開催された。その主催者となった「祝う会」が正体不明で、見事な式進行に豊田さんが「あなたはどちらの所属ですか」と聞いたら「東京の広告代理店のものです」と。つまり、プロが「安全である」とPRしているのだ。

豊田さんの話は湾岸戦争にも飛んだ。開戦前、クエートの病院で働いていたナイラという15歳の少女が、イラク兵は新生児を放り投げて殺したと証言し、アメリカの世論を開戦に向けて沸騰させた。ところが戦争終結後、ナイラはクエートに行ったことは一度もなく、クエート大使の娘であることが判明。「証言」はクエート政府がスポンサーとなっている偽装市民団体と広告代理店が組んだ偽証だった。

「自衛隊が給水活動とかする時、かならず一番テレビ写りのいい場所を確保します」と、テレビ番組の制作をずっとやっているだけに、政府・権力のマスコミ対策に注意すべきだとも述べた。

講演は質疑応答を含めて13時過ぎから17時半まで4時間近くに及んだ。想定外の長さに、ビデオ撮影のSDカードが満杯となってしまい、質疑応答の最後の方は撮りきれなかった。ただ、ICレコーダーで録音した音声の方は全て入っている。

講演後、近くの居酒屋で懇親会。隣に座っていた男性が日大全共闘出身の元ML派活動家で、マル青同リーダーであり、現在の「がんばろう、日本!」国民協議会」代表である戸田政康について話を聞くことができた。「戸田は体育会で、思想じゃなくて強い方に着いていく性格だから、マル青同がああなった」とのこと。

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