04/28 40年前の4月28日沖縄デー

もう日付が変わってしまったけれど、4月28日は沖縄デー。1952年4月28日の日米講和条約発行により、沖縄と奄美がアメリカの統治下に置かれた日だ。奄美諸島は翌53年12月25日には日本に返還されたけど、沖縄は72年5月15日までアメリカ軍政統治が続き、祖国復帰運動が繰り広げられた。中でも4月28日ヨンニッパは、沖縄処分の日として、全国各地で激しい闘争が展開された日だ。

ちょうど40年前の4月28日、高校1年生だったぼくは三多摩高校生共闘会議メンバーとして、明治公園での4・28集会に参加した。ぼくが入学後まっさきに入部した中央大学附属高校時事問題研究会は社青同解放派反帝高評の拠点だったので、反帝高評の下部組織である三多摩高共闘に動員されたというわけだ。一応、ノンセクトという建前だったので青ヘルではなく黒いヘルメットけど。

本来ならば、日比谷公園で解散して帰宅するはずだったのだけど、解散地点に着くと反帝学評の人が来て、「今夜、大阪で革マルと衝突が起き、革マルのメンバーが一人死亡した。ショック死らしいが報復が懸念されるので、これからまとまって移動する」と。で、どこをどう通ったのかわけもわからず、白楽の神奈川大学学生寮に逃げ込んだ。今ごろの時刻は、食堂でヘルメットを枕に寝ていたはず。

結局、時事研はわけも分からず「革マル殲滅」とかいったビラのガリ切りをさせられるのが嫌になり、部室での3年生のタバコ事件で一時活動禁止となったことをきっかけに退部してしまった。とうとう、最後まで解放派の機関紙「解放」を読み合わせしようとか、ローザ・ルクセンブルグの著作を勉強しようとなど言われず。このあたりは非レーニン主義の解放派たるところだろうか。

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