02/18 ウメサオタダオ展

お台場の日本科学未来館で開催されている「ウメサオタダオ展 -未来を探検する知の道具-」に行ってきた。「知の巨人」梅棹忠夫の90年の生涯における、知的生産活動の過程と成果が紹介されている。


会場にはスケッチやノート、こざね、カード、原稿、やりとりした手紙などがジャンルごと、時代ごとに分類されて展示されている。現物はケースの中だけど、カードなどは複製を実際に手に取ることができる。カードは最初は鉛筆で、やがて万年筆になり、一時はローマ字タイプライターで書き込まれている。特に達筆というわけではないが、イラストを交えてわかりやすく書かれているのが特徴的だ。



フィールドワークをする人にとってみれば当然なのかもしれないが、遠征先で事細かく描かれたスケッチは、見ているだけで楽しい。13歳で大人顔負けのしっかりした登山記録とスケッチを残し、終戦まで参加していたモンゴル調査隊では数十冊の観察記録をしっかりと抱えて戻ってきている。

また、来場者が自分でカードに会場での「発見」を記入し、スキャンして保存できるシステムもあった。実際にはスキャンした画像を読み出すのは面倒なので、壁にずらっと貼られているそれらのカードを眺めていても楽しい。ぼくは、結局何も書かずに出てきてしまったけれど・・・

最後に出口で持参した『知的生産の技術』(1979年7月10日 第30刷)の裏表紙にスタンプを押してきた。

ウメサオタダオ展を見て、あらためて「知的生産」ということについて考えてみた。同書がベストセラーとなって、知的生産という言葉がブームとなり、類書が何冊も出てきた。最近ではlifehackという言葉に置き換えられた感じもあるが、流れとしては同じだろう。知的生産活動に対し、インプットからアウトプットまでさまざまなツールを使って効率を上げていこうという方法論だ。

ただ、梅棹は「知的生産の技術」の中でカード式やこざね、オープンファイル、キャビネットファイルフォルダーなどを紹介しているが、特定商品については言及していない。カードについては

 わたしは、それまでの経験を総合して、自分で設計したものを、図書館用品の専門店に注文してつくらせた。それが、いまつかっているわたしのカードの原型である。紙はあつく、裏は白紙、穴はない。カードのつくりかたについては、あとでもう一どのべる。
 このカードは、たいへん評判がよくて、希望者がたくさんあったので、まとめて大量にあちこちに分譲した。その後いつのまにか、わたしの設計したこの型のカードが、ずいぶん普及してしまい、逆にわたしに、「カードはこれがいい」とすすめてくれる人もでてきた。ついにわたしは、文房具店の店さきで、わたしのカードが製品としてうられているのを発見した。その商品には、「京大型カード」という名がつけてあった。わたしは、いさぎよくパテントを京大にゆずることに決心した。

と、商標を主張するどころか「オープンソース」にしたことを述べている。僕自身、大学時代に共済会文具部で「知的生産の技術 文献カード 大学紙製品協力会 昭和の記録紙」というカードを買って使っていた。

これが、やたら商品オリエンテッドになるのは山根一眞氏の『スーパー書斎の仕事術』あたりからではないだろうか。ファイロファックスのシステム手帳を絶賛し、それ以外のシステム手帳をまがいもの扱いして避難した。また、袋ファイルにタイトルを付ける定規の型紙を掲載したのだけど、それにマルCをつけていた。

そして昨今のlifehackブームではメモ帳はロディア、手帳はモレスキン、オンラインカードシステムはevernoteなどなど、ブランド限定である。たかだか1000円、2000円の「高級手帳」であるけれど、そこまでブランドにこだわるのはなぜなのだろうか。

もちろん、いったんパソコンを手にしたぼくたちが、情報整理にカードを使うのはちょっと勘弁して欲しい。だけど、こざねやKJ法は今でもいろんな知的生産の場面で使われている。モレスキンにきれいなイラストを描くのもいいけど、そこからどれだけの知的生産物が生まれてくるのか、はなはだ疑問に思ってしまう。別に100円ノートでいいんじゃない?

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